Martin Anota "L’abenomics est-elle une réussite ?" (D'un champ l'autre, 24 mars 2014)
80年代を通じて日本はGDPの急速な成長を経験したが、この拡大は株価と地価の持続不可能な上昇を伴った。そしてこの資産バブルが80年代後半に至ってはじけ始めたのだった。日経225は1989年から1992年にかけて60%近く下がり、6つの大都市において地価は1991年から1996年の間に半分となり、その後さらに下落を続けた。資産価格の崩壊は、1992年以降日本経済をスタグネーションへと突き落すことによって深刻かつ持続的な影響を与えた。1993年から2012年の間、実質GDP成長率は平均で0.8%であった。インフレ率はゼロ近くとなり、1998年以降日本は幾度もデフレに陥った。その一方で、失業率は生産の下落に対してほとんど反応しなかった。景気循環に対するこうした不感応は、基本的には終身雇用という慣習が広く行き渡っているおかげだ。
不動産と株式のバブル崩壊だけが日本経済が過去数十年で被ったマクロ経済ショックではなかたった。より近年において、日本は他の先進国と同様に2008年世界金融危機を被っただけでなく、2011年の地震もあった。経済成長の弱さは、日本においてはその人口の急速な高齢化や公的債務比率の正に急上昇があるだけに、より一層問題であった。総債務比率は1991年にはGDPの66%であったが今日においては244%となっており、純債務もGDPの140%となっている。この傾向は、経済活動の弱さに起因しており、公的債務自体も最終的には景気を下降させるような効果を及ぼしている可能性もある。投資家はこのような債務水準をもはや許容しないところまできており、国債に対するリスクプレミアムを引き上げることによって公的債務危機が始まることを恐れる声が一部にあるにも関わらず、金利は依然として特異なまでに低い[Hoshi et Ito, 2012]。
80年代を通じて日本はGDPの急速な成長を経験したが、この拡大は株価と地価の持続不可能な上昇を伴った。そしてこの資産バブルが80年代後半に至ってはじけ始めたのだった。日経225は1989年から1992年にかけて60%近く下がり、6つの大都市において地価は1991年から1996年の間に半分となり、その後さらに下落を続けた。資産価格の崩壊は、1992年以降日本経済をスタグネーションへと突き落すことによって深刻かつ持続的な影響を与えた。1993年から2012年の間、実質GDP成長率は平均で0.8%であった。インフレ率はゼロ近くとなり、1998年以降日本は幾度もデフレに陥った。その一方で、失業率は生産の下落に対してほとんど反応しなかった。景気循環に対するこうした不感応は、基本的には終身雇用という慣習が広く行き渡っているおかげだ。
不動産と株式のバブル崩壊だけが日本経済が過去数十年で被ったマクロ経済ショックではなかたった。より近年において、日本は他の先進国と同様に2008年世界金融危機を被っただけでなく、2011年の地震もあった。経済成長の弱さは、日本においてはその人口の急速な高齢化や公的債務比率の正に急上昇があるだけに、より一層問題であった。総債務比率は1991年にはGDPの66%であったが今日においては244%となっており、純債務もGDPの140%となっている。この傾向は、経済活動の弱さに起因しており、公的債務自体も最終的には景気を下降させるような効果を及ぼしている可能性もある。投資家はこのような債務水準をもはや許容しないところまできており、国債に対するリスクプレミアムを引き上げることによって公的債務危機が始まることを恐れる声が一部にあるにも関わらず、金利は依然として特異なまでに低い[Hoshi et Ito, 2012]。