2013年9月29日日曜日

財政緊縮は不平等を上昇させる(1)

Martin Anota "L’austérité accroît les inégalités" (22 juin 2013) D'un champ l'autre





先進国において、財政政策は長期において所得の不平等を減少させるのに大きな役割を果たす。1985年から2005年にかけて、OECD加盟国では財政政策は(所得税による所得移転を通じて)年間でジニ係数を平均で約15パーセントポイント(約3分の1)減少させた [Bastagli et alii, 2012]。しかしながら(グローバリゼーション技術進歩、金融の飛躍的発展に代表される)多くの変化によって、過去数十年所得移転前の不平等が上昇させられる傾向にある。より最近では、税制の累進性を弱める改革の実施が、財政政策の再分配的効果を減少させている。

大停滞(La Grande Récession)は財政への圧力を激化させ、国家が新たな改革を試みるよう促した。というのも、弱々しい経済状況は税収の悪化を招くとともに、景気の自動安定化機能や景気回復策、苦境にある銀行の救済によって公的支出も上昇させるのだ。2010年以降、税の引き上げや公的支出の削減によって、公的債務を減らし、債務の先行きを安定化させることを目的とする複数の施策を多くの国が行ってきた。しかし、もしこれらの施策の実施が早過ぎたものであった場合、これによって経済回復が遅れ、しまいには債務の安定化どころか財政がさらに悪化する可能性がある。それ以外にも、そうした施策は所得不平等の悪化を招きかねない。というのは、危機の影響を最も強く受けた社会階層は、最も人口の多い階層だからだ。そうした社会階層は公的施策に最も依存している層でもあるため、財政緊縮策によって最も生活が不安定化させられる傾向にある。

財政緊縮策の経済活動や公的債務に対する影響は多くの分析の対象となってきたが、それらが所得不平等に対して与えるインパクトと言われるものについての分析は、それよりもずっと少ない。Laurence Ball, Davide Furceri, Daniel Leigh及びPrakash Loungani (2013)は、IMFのワーキングペーパーにおいてこの問いの掘り下げを行った。彼らは、1978年から2009年にかけて17のOECD加盟国が財政再建を行った事例それぞれの研究を行った。

Ballたちは、全ての財政再建の事例において、実際に不平等の上昇がもたらされたことを明らかにした。平均で、財政再建の実施後1年でもたらされるジニ係数の上昇は0.1パーセントポイント(約0.4%)だったが、8年後ではそれが0.9パーセントポイント(約3.4%)だった。また、財政再建を支出削減に基づくものと税の引き上げによるものとで区別すると、支出による調整は平均して所得分配に対して最も大きい影響があった。所得不平等は、支出の調整による財政再建が行われると約1パーセントポイント上昇し、税による財政再建の場合はそれが0.6パーセントポイントだった。この結果は著者にとって驚きではなく、彼らによれば先進国経済における財政政策の不平等への直接的な影響は、支出によるものであるからだという。経済活動が停滞すると、給付金や補助の支払いに関連する支出の上昇が、労働による所得の減少を補償し、需要を下支えすることで所得の不平等を抑えるのである。

続いて、Ballらは財政再建策が一般的に労働者所得の分配率を減少させることを示している。この効果は直接的な経路によって働く。つまり、一部の緊縮策は公共部門の給与の削減を含む。また、より間接的な経路もあり得る。財政再建は失業、特に長期失業を上昇させる。雇用を失うことは労働者の将来所得に悪影響を及ぼし、労働者の健康を悪化させ、彼らの子供の学業成績を悪化させることでその将来進路、つまりはその将来所得の見通しも一変させる。失業期間が長いほどこうした効果は大きくなる。最も多く失業を被るのは、まさに最も職能の低い人々であり、したがって彼らは失業と貧困から抜け出せなくなってしまう恐れがあるのだ。失業期間が長い労働者ほど雇用される機会が少なくなる。というのもそうした失業者は段々と職業適性を失っていき、労働者人口から退出してしまう傾向にあるからだ。マクロ的には、履歴現象が存在するという。つまり失業は固定化する危険性があり、構造的な問題となってしまうのである。Ballらは財政再建が実際に、こうした波及経路を確かなものにする長期に渡る失業を導くことを示している。

1990年代中盤以降、社会保障と税の累進性の貧弱さによって、可処分所得の不平等は課税前所得の不平等よりも速く拡大してきた[Bastagli et alii, 2012]。大停滞が続く中で行われた財政緊縮策はその傾向を加速させるが、更なるマクロ経済的な影響も伴わずにはいないだろう。財政再建はそれ自身で既に総需要を減退させる傾向があるが、不平等の上昇がさらに経済活動を圧迫するとともに回復を遅らせ、回復の遅れは公的債務の持続性を再度危うくさせることを意味する。そしてこれらとともに、所得不平等は財政の不安定要因としてあり続ける。







2013年9月27日金曜日

セイの法則?:ジャン・バティスト・セイ「経済学概論」第1巻15章



二回目の投稿から既にアノタではないですが、せっかくですのでこの間訳したものを。

原文はこちら。なお、脚注は最後にまとめてます。セイの「経済学概論」の中でも、のちにセイの法則と言われるもととなった箇所ですが、言ってることはセイの法則とされているものと同じではありません。その辺については田中先生のこのへんを参考にするといいかもしれません。

日本語での全訳としては、戦前訳ではありますが増井幸雄訳「經濟學」(1926-29, 岩波書店)があり、たいていの大学では閉架だとは思いますが置いてあるはず。また英訳版はネット上で読めますが(ここここなど)、本訳が原文第8版を元にしているのに対して、上に挙げた英訳版は原文第4版の訳で、内容はかなり異なります。

原文との対訳はこちら



ジャン・バティスト・セイ(1803)
経済学概論 又は富の形成、分配、消費の仕方についての簡略な説明
第一巻 富の生産 15章 生産物の販路


様々な分野の産業の企業家は、難しいのは作ることではなく売ることだと口にする。売れる量が簡単に分かるのであれば、商品は必ず十分に生産されると。彼らの生産物の販売が遅く、大変なもので、彼らにとってあまり割のいいものでないとき、彼らはお金が足りていないと言う。そう言う彼らが求めているものは、販売量を増やし、価格を維持する、活発な消費だ。しかし、どういった状況や要因が彼らの生産物の販売にとって好都合なのかと尋ねてみると、彼らの多くがその点については漠然とした考えしか持たず、事実をちゃんと観察していない上にそれを説明する段になると輪をかけて酷く、不確かなことを確実だと見なしており、彼らの利益に直接的に相反することを望んでおり、そしてお上から筋の悪い保護を得ようとしていることに気付くはずだ。

企業の生産物の販路を開くための、より確かな考えと高度な実践のためには、より明らかで確立された事実の分析をするべきだ。そして、これまで同様の手法によって明らかにされてきた事柄とそうした事実を結びつけ、またおそらくは産業界の人間の欲するところを解明し、それを保護したいと切実になっている政府の歩みを支えうる重要な新事実を見つけることが重要だ。

なんらかの効用を生み出すことで物に価値を付加する企業を持つ者は、それを購入する手段を持つ人間が存在するからこそ、その物の価値が評価されて支払いが行われると期待することができる。その購入する手段とは何から出来ているのだろうか。その他の生産物の価値、つまり企業や資本、土地からの得られたものだ。したがって、一見パラドックスにも思えるが、生産物の販路を開くのは生産であるということができる。

織物業者が「俺が自分の生産物と交換で欲しいのはお金であって、他の生産物じゃない。」と言う場合も、彼の客が支払いを行うには、その客がどこかで自分の商品を売ってお金を作るしかないと言えば簡単だ。「農家をやってるお客さんは、うまく収穫物が取れればあなたの織物を買うんですよ。そのお客さんがたくさん生産するんであればたくさん買うだろうし、全く生産しないんであれば全く買わない。」といった感じに。

「あなた自身もそうです。織物を生産した分だけしか、そのお客さんの作った小麦や羊毛を買えません。欲しいものはお金だとあなたは言いますが、私だったら他の生産物だと言いますね。だって、どうしてお金が欲しのか考えてみてください。生産に必要な第一次原料を買ったり、自分の口に入れる食べ物を買うためじゃないですか(原注1) 。必要なのは生産物であって、お金じゃないというのはお分かりですよね。あなたが代金として受け取り、他の商品を買うのに使った銀貨は、次の瞬間には別の売買人の間で同じように使われて、そしてまた同じように果てしなく続くんです。あなたが売った生産物を運んだ車が、その後に別の生産物を運び、さらにまた別の生産物を運ぶのと同じことです。あなたの生産物がなかなか売れないとき、それを持って帰る車を買い手が持っていないからだと言ったりしますか。そうです。お金は生産物の価値を運ぶ車でしかないのです。その用途は、あなたの買い手があなたの生産物を買うのために売った生産物の価値を、あなたの家まで運んでいくことが全てなのです。同じように、お金はあなたが買うであろう物の売り手の家まで、あなたが誰かに売った生産物の価値を運んでいくのです。」

「つまり、一時的にお金に変わっただけの、あなたの生産物の価値で、あなたやその他皆さんはそれぞれ必要なものを買うのです。そうでなければ、悲惨だったシャルル6世の治世下と比べて6~8倍にまで今のフランスの物量は膨れ上がっているのに、どうすれば一年間でそれを買えるというのですか。人々が6~8倍生産するようになって、お互いに物を買い合っているからだというのは明らかです。」

したがって人々が「うまく売れない。お金が足りてないからだ。」と言うとき、手段と原因を取り違えているのだ。ほとんど全ての生産物は、他の商品と交換される前にお金に変わる上に、そのように頻繁に目にする商品が大衆にとっては、全ての取引の目標となる最上級の商品であるかのように思えてしまうから間違いを起こしてしまう。お金はそうした取引の仲介物でしかないのにだ。「うまく売れない。お金が足りないからだ。」などと言うべきではなく、「他の生産物が足りないからだ。」と言うべきなのだ。流通し、異なる価値を相互に交換するためのお金は、そうした価値が現実に存在している際には、常に足りている。大量の売買によって万一お金が足りなくなった場合には、簡単に補充できるし、補充が必要になるというのは大分良い状況であることの表れだ。それは大量の価値が創造されたことの証明で、それによって大量の他の価値を手に入れることができる。そうした場合、あらゆる交換を容易にする仲介物となる商品(つまりお金)は、商人たちが知っている方法によって簡単に代替でき(原注2) 、すぐにお金はたくさんあふれることになる。お金とは一つの商品であって、あらゆる種類の商品は必要とされるところに集まるからだ。取引に使うお金が足りないことは、店で商品が足りなくなるのと同様、良い印なのだ。

ある商品が過剰で買い手が少しも見つからないとき、お金の不足はほとんど全くその障害ではなく、売り手はその価値をその日の値段で計った自分が消費する物という形でも喜んで受け取るだろう。彼らがお金を要求することはなく、その必要も全くない。自分が消費する物に換えるという用途にしか欲しいとは思わないのだから。(原注3)

自分の製品の消費者には、自らも生産を行う人たち以外、つまり物質的な生産は行わない他の多くの階級、役人、医者、法律家、聖職者等々も含まれており、そうした事実から自分自身で生産を行う人たちがもたらす販路以外にも販路が存在すると考える生産者は、自分が物事の深層に至らず、表面しか捉えていないことを露呈してしまうだろう。実際、司祭はストラやサープリス(訳注;どちらもカトリック司祭の礼装。冥闘士の鎧ではない。参考)を買うために商人のところへ行く。司祭はお金という形で支払いを行うが、それは誰から得たものだろうか。 納税者から徴税人が徴収したものだ。 納税者はそれをどこから得たのだろうか。自分自身で生産したのである。まずエキュ銀貨と交換され、その後に司祭に渡ったこの生産された価値によって、司祭は買い物をすることが出来るのである。司祭は生産者の代わりとなったのであり、そうしたことがなければ生産者は自ら生産した価値で自分自身のために買い物をすることができただろう。ストラやサープリスではなく、もっと便利な他のあらゆるものを。サープリスと呼ばれる生産物の消費は、他の消費と引き替えでなされたのだ。いずれにせよ、ある生産物の購入は、他の製品の価値でしかできないのである(原注4)

この重要な真実から導くことの出来る第一の結論は、全ての国において、生産者の数が多くなればなるほど、そして生産が増えれば増えるほど、販路はよりたやすく、多様で広大なものになるというものだ。

生産が活発なところでは、それ自体でものが買える物が生まれるのだ。つまり価値だ。お金は束の間の役割を果たすだけに過ぎない。そして最終的な取引においては、常に生産物に対して生産物で支払われる。

ある最終生産物は、その瞬間からその価値の総和に等しい他の生産物の販路をもたらすということは書いておくべきだろう。というのも、最終生産者がその生産物を仕上げた時に最も欲するところは、その価値が手の中で遊んでしまわないようにそれを売ってしまうことだ。しかし、その販売によって得たお金についても、その価値を退蔵しないよう同様に急いで使ってしまわなければならない。しかしお金を使ってしまうには、何らかの他の生産物を求めるしかない。よって、生産物の完成という事実のみで、それと同じ瞬間から他の生産物の販路が開けるのだ。

このことから、豊作は農家だけでなく、他の全ての生産物の売り手にとっても同様に良いことだと言える。より多くの収穫があるときは常に、より多くの買い手がある。不作の時は、反対に全ての販売が不振になる。手工業や商業も同じだ。ある分野の商業の繁盛は購入手段をもたらし、結果として他の全ての商業の販売をもたらす。その反面、ある分野の工業や商業が振るわない場合、その他のほとんどもその被害を受ける。

すると、特定の時期において買い手を見つけられず、流通できない商品はどこから来たのかということが問題になる。なぜこれらの商品は互いに買い合うことができないのか。

売れなかったり原価割れで売られるものは、あまりにも多量に生産され過ぎたか、それとも単に他の生産が上手くいっていないことから、人々の欲しがる量を超過しているからというのが私の答えだ。特定の生産物が余っているのは、他がたまたま足りなくなっているからというわけだ。

もっと砕けた形で言えば、あまり買ってくれない人が多いのは、その人たちの稼ぎの少ないからであり(原注5)、その人たちの稼ぎが少ないのは、その人たちの生産手段の運転に何か問題があるか、もしくはそうした手段が足りていないからである。

ある物があまり売れない時というのは、正に他の商品の価格が過剰に吊り上っている時であり(原注6)、そうした吊り上った価格はその生産に拍車をかける動機となるのだから、そうした一方における欠乏と他方における過剰が持続している場合、自然災害や政策の失敗といった、大きな要因や乱暴な手段が必ずその背景にあるということも指摘しておく。そうした不利益をもたらす要因が収まると、生産手段は以前の水準へと戻る道を辿り、その途中で他の全ての物の生産が増える。全てが常に完全な自由に任せられていれば、ある一つの物の生産が他のものと比べて過剰になるということはほとんどないし、それによる生産物の価格が下がるということもほとんどないのだ(原注7)

この原則による二つ目の結論は、各人が全ての人の繁栄と関係しており、ある分野の産業の繁栄は他の全ての分野の繁栄にとっても良いことであるというものだ。実際、どんな産業に従事していてどんな力量をもっていようとも、周囲の人が稼いでいればいるほど、より良い仕事を見つけるし、より多く稼げるだろう。沈降する国でみじめに細々と暮らしている才覚のある人は、その人の能力に対しお金を払うことの出来る生産性のある国では、いくらでも自分に合った職を見つけられるだろう。豊かで工業的な都市にいる商人は、のんきで怠け者な空気の漂う貧しい田舎村にいる商人よりもずっと多くの額を売り上げる。やる気のある工場経営者や敏腕商売人は、人も少なく文明もあまり入ってないようなスペインやポーランドの都市で何が出来るだろうか。全く競争にぶつかることがないとはいえ、ほとんど売れないだろう。ほとんど生産がないのだから。その一方でパリやアムステルダム、ロンドンでは、100人の自分と同じような商人との競争にも関わらず、多額の売り上げを上げるだろう。その理由は単純だ。大量に生産する様々な分野の人々が周りにいて、そうした人々が自分の生産物の販売から得たお金で買い物をするからだ。

これが都市にいる人々が農村にいる人々から得る利益の源泉で、農村にいる人々が都市にいる人々から得る利益の源泉でもあるのだ。つまり、生産をすればするほど、両者ともに購買力が高まるということだ。豊かな農村に囲まれた都市は、そこに多くの豊かな買い手を見つけ、豊かな都市の近くに位置していれば、農村の生産者はより多くの価値を手にする。国々を農業国、工業国、商業国と分けるのは無意味なことだ。ある国が農業で成功しているとすれば、その国の工業と商業も栄えることになり、工業と商業に活気があれば農業も良い状況にある(原注8)

国であれば隣国の、地方であれば隣の地方の、都市であれば農村の繁栄と結びついているのでり、その富から必ず利益を得る。だからこそアメリカはその周囲の未開部族に工業をもたらそうと常に試みたのだ。何ら与えられるものを持たない人々からは何も得られないため、アメリカは彼らが交換で差し出せる何らかのものを持っていることを望んでいた。多くの国の中の一つの国が、様々な状況において、自由の原則に従って行動するというのは人類にとって有用で得難いことだ。アメリカがこの先に得るであろう素晴らしい結果によって、無意味な制度や有害な理論はヨーロッパの古い国だけが、恥知らずにも実践的真理という名で飾りながらしがみついている規範であることが露呈するだろう。ヨーロッパの国は不幸にも実際そうした制度や理論を実践しているのだから。アメリカは自身の行動によって、最も正しい政策というのは節度と人間性の調和であることを示す栄光に浴すだろう(原注9)

この示唆に富む原則の三つ目の結論は、外国製品の輸入は自国の製品の販売にとって良いことだということだ。なぜなら、私たちがそうした外国製品は、私たちの産業、土地、資本の生産物によってを買うことができるのであり、輸入によってこれらの国内製品も結果的に販路を得ることになるのだ。自分たちが外国製品を買うのに払うのはお金だ、という人もいるだろう。そうであっても、私たちの大地はお金を生産しないし、そうしたお金は私たちが生産した物によって買う必要があるのだから、私たちが外国から物を買うときに払うものが商品であろうとお金であろうと、国内産業に販路がもたらされるのに変わりはない。

この原則の第四の結論から、新たな生産物をもたらすだけの純粋単純消費は、国の富に全く貢献しないということが導かれる。そうした消費は、その消費によって生み出されたものを他方で壊しているだけだからだ。消費が好ましいものであるためには、人々の欲求を満たすという消費の本質的な目的を果たす必要がある。宮廷に上がる際には刺繍入りの服を着ることをナポレオンが命じた際、彼はそれによって刺繍職人にもたらされた利益と同等の損失を家臣にもたらした。それ以上に輪をかけて酷かったのは、彼が輸入額と同価値のフランス製品を輸出することを条件に英国との密貿易の免状を発行した時だ(訳注;大陸封鎖令の折であったが、業者に英国との交易の特許状を与えた)。免状を持った商人は、自分の船に積んだ商品が海峡の向こう側では受け入れてもらえないために、港を出るときにそれら商品を海に捨てていたのだ。政府は経済政策を完全に無視して、この施策がフランスの製造業にとって好ましいものだと自画自賛していた。しかし、その実際の効果はどうだっただろうか。輸出するフランス製品の価値全てを捨てなければならなかった商人は、その結果として英国から持ち帰った砂糖やコーヒーを売り、フランスの消費者は不愉快な額を払わなければならなかった。これは工場を優遇するために、納税者の負担で海に捨てるための工業製品を買っていたようなものだ(原注10)

産業の育成には、純粋単純消費では十分ではない。人々の間に消費意欲を生む、意気と欲求が伸びることが必要だ。同様に、販売を伸ばすためには、消費者が購入を行うための収入を得るのを助ける必要がある。物を買えるようにするために生産を刺激し、それによって絶えず湧き上がり家族の暮らしを向上させる消費を引き起こすのは、国内の一般的かつ恒常的な需要なのである(原注11)

生産がより活発であればあるほど生産された物への需要も一般的に活発であるというのは、一見逆説的にも思えるが不変の真理であり、これを理解すれば、どの分野の産業の生産が活発になるのが望ましいのかについて頭を悩ます必要はほとんどない。作り出された生産物は、習慣や欲求、資本や産業、その国の自然要因の状況によって決定される多様な需要を生み出す。最も需要される商品とは、需要者間の競争を通じて、そこに投下された資本にはより大きな利潤を、企業家にはより厚い利益を、労働者にはより良い給料をもたらすのである。そしてだからこそ、そうした商品はより多く生産されるのだ。

生産の増大の終わりがどのようなもので、日々増え続ける生産物をいつも人々がどこで互いに交換するのか知りたくなる人もいるかもしれない。無限大の増加というものが存在するのは抽象的な数量においてでしかないし、実際上全ての物には本質的に限界というものがある。今私たちが学んでいるのは実践経済学だ。

これまで知られている中で、その国が生産し消費できる状態にある全ての生産物を一国で完全に備えた国があったという例はない。けれども、これまで見てきたいくつかのことから、想像によって全ての生産物に考えを展開することはできる。生産に伴う困難は一般的には生産的な設備によって解決されるが、ある一定の点をを越えるとそれはより一層速い割合で上昇し、人が生産物の効用から得る満足をすぐに追い抜いてしまう。そうした場合、効用を持つ物を作ることはできるがその効用は費用と見合わず、その物は生産物としての本質的な条件、つまりはその生産にかかる費用と少なくとも釣り合うという条件を満たさない。ある領域から人が手にできるあらゆる食料品を得る場合、より遠くから新しい食料をもってくるとなると、その生産は非常に費用のかさむものとなり、その生産物はその費用に見合わなくなる。30日間の作業で20日間食べていくことしかできないのだったら、そうした類の生産に人は従事できないだろう。またそうした生産は人口の増加を促すこともないので、その結果として新たな衣類、住居等々の需要が生まれることもない。


実際のところ、消費者の数というものは食料品によって制約されるが、食料品以外に対する欲求は無限に増え続けうるし、そうした欲求を満たすことのできる生産物も同様に増えて交換されうる。生産物は在庫や資本の形成も行いうる。それでも、欲求がだんだんとしぼんでくるにつれ、消費者がその欲求を満たすために犠牲に差し出すものは段々と減るということは分かる。つまり、生産するのにかけたお金に見合うだけの価格を生産物が維持するのは段々と難しくなるだろうということだ。いずれにせよ、国民の持つ欲求が大きいほど生産物はよく売れ、国民が交換に差し出す物も多くなるというのが真実だ。つまり、そうすれば国民がより全体的に文明化するということだ。





(原注1)
全額をタンス預金としてしまいこんでしまう場合であっても、最終的な目的は何かを買うことだ。しまい込んだ人が使わなければ、相続者や何らかの事情によってそのお金を手にした人が使う。お金それ自体にそれ以外の使い道はないのだから。


(原注2)
例えばアムステルダム―ロンドン間での持参人払手形、銀行券、当座借越や債務相殺。


(原注3)
ここでいう消費とは、その性質は問わないのであって、生産に使わず自分や家族の必要性を満たすものであろうと、再生産用で自分の企業向けの原料に使うものであろうと構わない。毛織物や綿織物の生産者は自家消費用途だけでなく、自分の作る製品のためにも消費する。しかし、再生産であれ、自分の楽しみのためであれ、その消費の目的がどのようなものでも、彼らは自分が消費するものを自分が生産物で買うのだ。


(原注4)
自分の資本から得られた利益を支出する資本家は、その資本の投下先の生産物という形で支出を行う。第二巻では、資本家がどのように生産物と関わるかについての法則を述べる。資本家がその資本の原資自体を使ってしまう場合、その支出先は常に生産物だ。なぜなら資本それ自体も、実際のところは再生産的な消費のために温存されている生産物でしかなく、資本が使い切られてしまうときは常にそうであるように、頻繁に生産を行わないような支出に向けられるからだ。国民を生産者と消費者に分けるのは、全ての区別の中でも最も頭の悪いやり方だ。ありとあらゆる人は、例外なく消費を行う。極わずかの例外を除いて、あらゆる人は多かれ少なかれ生産を行う。ある人は自分自身の働きで、またある人は資本や土地の仕事として。また、自分自身の生産物の代わりに他人の苦労の結晶を消費してしまうようなケースを避けるため、生産はより広い範囲で積極的に行われることが望ましく、そうすれば自分の消費を他人に奪われることのなくなった人は自分自身でその価値を支出することだろう。


(原注5)
どのような国においても、大商人から単純労働者に至るまで、稼ぎというものは生産された価値から得られる分け前のことだ。その配分の割合に関しては、この本の第二巻で述べる。


(原注6)
この一般的な事実を、自分が知見を持つ他の国や時代に適用してみることは、全ての読者にとって容易なことだ。その顕著な例の一つは、1811年~1813年のフランスだ。当時、小麦やその他の植民地産品の値段が高騰したが、一方でそれ以外の多くの物は条件の悪い販路しか見つけることが出来ず、価格が下落した。


(原注7)
こうした考えは、商業に関するあらゆる論説や論文、同じく商業に関係するあらゆる行政的な手段にとって根本となるものであるが、そうした分野からは現在に至るまでほぼ完全に見過ごされたままである。私たちが真実に出会ったのは偶然の産物であり、(幸運によって)正しい道をとったのは、自分自身も他人も納得しないようなあやふやな判断によるものでしかなかったようだ。
シスモンディ氏は、この章と第二巻の最初の三章で論証した原則に異論を唱えており、英国が海外の市場へ過剰にもたらしている大量の工業製品を引いて、生産過剰がありえることの証拠としている(Nouveaux Principes, etc.,第四巻第四章(訳注;邦訳は菅間正朔訳『経済学新原理』全2冊,1949-50))。この過剰が証明するのは、英国産品が過剰にあふれている場所で生産が不十分であるということでしかない。ブラジルが自国に入ってきた英国製品を買うのに十分なだけの生産をしていれば、それら英国製品が供給過剰になることはなかったのだ。そのためには、ブラジルがより工業化しており、より多くの資本を持ち、ブラジル国内に製品を持ち込む時期を完全に自由に選択できるように税関がなっており、英国の税関がブラジル製品の流入に対する障害とならずに返品が完全に自由になっている必要があった。
この章で論ずるところは、ある特定の商品をその需要に対して過剰に生産することはできないということではなく、単にある商品の売り上げを促進するのは他の商品の生産ということだ。
この本の英訳版の訳者であるM. C. R. Prinsepは、ここの脚注に次のような捕捉を行っている。「シスモンディの考えは、わが国のマルサスが採用しているところであり、著者(訳注;セイ)の考えにはリカードが同意している。著者とマルサスの間では、興味深い議論が交わされた。この章でなされている主張を確証するのであれば、この点や学問上のその他何点かについてセイがマルサスに宛てた手紙を参照のこと。シスモンディは法学紀要(Vide Annales de Legislation, No. 1. art. 3. Genevo, 1820)において、リカードへの返答をむなしくも試みたが、敵からはなしのつぶてだった。」


(原注8)
あらゆる生産的で大きな工場はその近隣を活気づける。「メキシコにおいて最も農業が盛んであるサラマンカからシラオ、グアナフアト、ヴィラデレオンにまで広がる平野は、旅行者の心にフランスの最も美しい農村を思い起こさせ、そこは我々が知っている世界の中で最も豊かな鉱山に囲まれている。コルディレラの中でも孤立して無人の台地となっている最も未開の地域では、あちこちで鉱脈が見つかっているが、それが耕作の足を引っ張るということはなく、むしろそれに一層の恩恵を与えている・・・大きな鉱山の発見後ただちに街が築かれ・・・農場は周囲に広がり、当初は手つかずで未開の山中に孤立しているように見えた鉱山は、瞬く間にかつて耕作地だった土地と接することになるのである。(HUMBOLDT, Essai Poli. tique sur la Nouvelle-Espagne.)


(原注9)
昨今の経済学の進展以前には、これらの非常に重要な真実は、大衆だけでなく最も賢明で最も教養を備えた人たちにも知られていなかった。ヴォルテールは次のように書いている。「自国を大きくすることを願うのが人間の業であるが、それは隣国の不幸を願うということと同じことである。国は、他国が失うことなしには何かを得ることは出来ないというのは明白だ。」(Dictionnaire philosophique, article PATRIE.) また、世界市民となるためには自国が大きくなること、小さくなること、豊かになること、貧しくなることのいずれも望んではならず、それらは一連の同じ間違いであるとも彼は付け加えている。しかし真の国際人とは、自国の幸福を危うくするような領土拡大を望むことはないが、一方で自国がより豊かになることを願う。自国の繁栄は他の全ての国にとっても良いことだからだ。


(原注10)
英国人は自らの植民地製品をフランスに安価に売る以上のことを要求していなかった。戦争中であっても、なすがままに任せるのが望ましかったのだ。そうしていれば、5000万も砂糖にお金を出していたのが2500万で済み、海中に捨てていたフランス製品を買うための年間にして2500万ものお金が手元に残っていたのだ。つまり何もなくても同じだけの生産がなされていたのであり、さらに人々に損害を与えることもなかった。


(原注11)
この本の英訳版に付された注記によって、私は自分の考えをもう少し練り上げる必要性に迫られた。英訳版の訳者は、私が再生産を行わない全ての消費を好ましからざるものだとしていると批判している。もしそうした理解ができるような書きぶりであったのであれば、私の説明が悪かったと言える。私は、生産の本質的な目的が人間の欲求を満たすことであることは十分に承知している。私はただ単に、それが生産を行わない消費である時は何ら他の便益をもたらさず、したがってもし消費に便益を求めるのであれば、おそらくは欲求を生じさせることが必要であるということを付け加えたかっただけだ。そうすれば、人々の経済力や生産・消費能力は増大し、文明化も進む。そして道徳心や知性もそれを発揮しやすくなるがゆえに、向上するのだ。

供給ショックと需要ショック

Martin Anota "Chocs d’offre, chocs de demande"(23 Septembre 2013) -D'un champ l'autre



主流派経済学は、経済サイクルに関して対立する二つの説明を発展させている。リアルビジネスサイクル理論によれば、経済活動の変動は供給ショックを原因としている。そうした供給ショックには気候変動、自然災害、石油ショックと反石油ショック、戦争、政治不安、規制についての政府の決定(輸入割り当ての実施など)、技術ショックが含まれる。最後に挙げた技術ショックは、新しい古典派によるモデル化においてはとりわけ重要な地位を占めているが、ここには生産要素の質の変化や作業組織の変更、新規製品や新生産方式の開発等を含んでいる [Snowdon et Vane, 2005]。これらの多様なショックは、生産性を大きく変化させることで経済活動に根本から影響を与えうる。

リアルビジネスサイクル理論は、フィン・キドランドとエドワード・プレスコットの論文 (1982)によってまず定式化された。その論文が登場するまでは、新しい古典派(特にロバート・ルーカス)は景気サイクルは貨幣的ショックによって引き起こされるという考えを受け入れていた。キドランドとプレスコットは、景気の変動は実物ショックのみによってしか引き起こされないと主張した。経済は定常的に均衡しているため本質的に釣り合いのとれたシステムであるという、新古典派的な考えを二人はさらに押し進め、景気サイクルのあらゆる点、景気後退の真っ最中においてすら経済は均衡しているとした。景気後退は、例えば技術的制約のような何らかの制約の変更に直面した各個人の反応の総和によって引き起こされるため、経済主体はそれを避けようとしても無駄ということだ。景気後退が長引いている場合においてすら、経済主体は自らの厚生を最大化する行動をとっているため、経済は最適化された状態にある。経済活動を刺激し、失業を減らすために、新しい古典派はサプライサイド政策の採用を推奨する。というのも、景気回復策は効果がないだけでなく、とりわけ民間経済主体の最適化のための計算の邪魔をすることによって、経済活動を害するからだ。この枠組みにおいて財政は、例えば労働供給や消費、生産、投資、技術革新へのインセンティブといったものを減らすような阻害要因とみなされる。また、個人の意思決定は貨幣的変数ではなく実物要因に依存するため、貨幣政策は経済活動に何ら効果を持たない。

新しい古典派と異なり、ニューケインジアンは景気サイクルの説明にとって信用の他、特に需要が不可欠な役割を持つと考える。彼らは調整の失敗の問題を前面に出す。とりわけ情報の非対称性によって、各経済主体は必ずしも他の経済主体の活動に対する自身の影響力を考慮せずに意思決定を行い、ひいては自身の活動に対しても同じように意思決定を行う。総需要が減少すると、企業にとっては利益確保のために生産を減らしたり人員整理を行うことが合理的となるが、各企業がそれを行うとさらなる需要と利益の急落に直面することとなる。したがって経済は需要の不足と高失業を特徴とする最適下限の均衡に陥り得る。そのような場合には、とりわけ景気対策によって総需要を刺激することによって経済を完全雇用に立ち戻らせるために、公的権力による介入が必要となる。ニューケインジアンが価格や賃金の硬直性を特に強調したからといっても、そうした硬直性はしかしながら経済活動の変動を説明するための決定的なものではないように思われる。たとえ価格と賃金が完全に十何であっても、生産は不安定になり、柔軟性はそうした不安定性を悪化させさえする傾向にある

これら二つの見解は、本質的に相矛盾するものではない。ニューケインジアンは、経済は定期的に供給ショックに見舞われる傾向にあるという考えを認めるが、彼らによればそうしたショックは経済活動の変動の大きさを説明するのに十分ではないという。そのような場合、景気サイクルに対して最も大きな役割を果たすのは需要ショックだ。供給ショックと需要ショックの相対的重要性についての議論は、それ自体が景気対策の効果と有用性を決定づけるだけに、非常に重要となる(原注1)。これはインフレの動きに関連するところで度々具体化する。というのも新しい古典派によれば、生産を引き上げることによって供給と需要の間の均衡を保つために価格の下落が引き起こされる。言い換えれば、経済が何よりもまず供給ショックに見舞われがちであるのなら、生産水準とインフレ率は互いに反対方向に延びるはずだ。もしそれとは反対に、ニューケインジアンが支持するように、景気サイクルはまず第一に需要ショックが原因となるのであれば、価格は景気と同じように伸びることになる。言い換えれば、インフレと生産は同じ方向に動くはずだ。

したがって、インフレと生産との間の一致した上昇の有無を明らかにすることは一部の人間にとって、ショックの本質を暴き、ひいてはこの二つの学派による議論に終止符を打つことに見えるのだ。これはまさしくMichal Andrle、Jan Bruha、Serhat Solmaz (2013)が行おうとしたものだ。1995年~2013年の第一四半期までのユーロ圏を調べることにより、三人は景気サイクルの際に頻繁にインフレと生産が一致して上昇したことを明らかにした。彼らはインフレは生産の変化に一四半期遅れて反応するとしている。さらに、インフレの失業は同じように動いていた。そして最後に、生産とインフレの間の強い相関から、三人の著者はユーロ圏における景気サイクルは主に需要ショックによって引き起こされていると結論している。彼らはしたがってリアルビジネスサイクル仮説を棄却している。

(原注1)一方、ショックの概念の妥当性についての疑念も残っている。例えば、アーヴィング・フィッシャーハイマン・ミンスキーの一連の著作は、金融市場と不動産市場が必然的かつ定期的にバブルと価格の崩壊に見舞われるため、信用のサイクルは内生的であることを示している。リアルビジネスサイクル学派が言うところの技術ショックについても、完全には外生的ではない。例えば、技術革新は義行が行う研究開発費の支出に依存する(とりわけロバート・ルーカスが内生成長にかんする初期のモデルで発展させた考えだ)。もう一方では、例えショックの概念を受け入れたとしても、供給ショックと需要ショックを厳密に区別することの妥当性についても疑念が残っている。一部のニューケインジアン(特にスティグリッツ)が言うように、経済が需要ショックを受けた際(例えば企業の予測よりも遥かに製品の売れ行きが悪かった場合)、このショックは需要ショックへと変わる(企業は生産を減らす)。これはそれぞれの市場を個別に分析することはできないというケインジアンの考えへの立ち返りであるが、これら市場、ひいては経済主体の間に存在する相互依存性によって、マクロのレベルにおいては全くのところ反対となる。つまり、総供給と総需要を切り離して調べることはできないということだ。さらに、景気後退の最中は履歴現象も働いている。つまり、経済活動が沈滞し続けている際、労働者はその能力を劣化させるとともに健康が悪化して生産性が下がり、さらには労働力人口からも外れてしまう。その裏で企業は投資支出を減らし、言い換えれば生産能力(現代の研究においては潜在生産力とされるもの)がその影響を受ける。ただいずれにせよ、供給ショックと需要ショックの区別がはっきりとしていないとしても、景気後退の際には景気変動による失業を構造的なものにせず、また潜在成長を悪化させないために、経済をすぐさま完全雇用に戻すことを目的として、政策当局が経済活動を強く刺激する必要があるというニューケインジアンの結論がこれによって変わることはない。




参考文献
SNOWDON, Brian, & Howard R. VANE (2005)Modern Macroeconomics. Its Origins, Development and Current State, éditions Edward Elgar.