Martin Anota "Les réformes structurelles peuvent-elles sauver l’Europe ?" (23 novembre 2013 D'un champ l'autre)
単一通貨の導入によって、ユーロ圏は深刻なマクロ経済的不均衡を蓄積することとなった。一部の国は経常黒字を享受し、その一方で他の国は多大な経常赤字を拡大させていた。こうした不均衡によって、「周辺」国の競争力喪失を説明できる。そうした国のドイツに対する実質為替相場は、2000年から2008年位かけて6~15%上昇した [Eggertsson他, 2013]。こうした競争力の喪失は、非貿易財市場、とりわけ不動産部門において見られた顕著な価格上昇を部分的に説明する[1]。2008年に不均衡が乱暴に解消された際、周辺国は深刻な景気後退へと陥り、公的債務は必然的に急上昇した。
経済危機に際して、ユーロ圏の各国は経済活動の刺激を目的とした為替相場の調整を行うことはできない。その結果、周辺国は為替相場切り下げに代わるをもたらすものを模索した。そのため、彼らは生産物市場や労働市場の競争を高めるための構造改革を実施した。そうした改革とは、企業の独占力や、労働者の交渉力を減らすということだ。これにより改革は、購買力にとって追い風となる価格の下落、賃金の過剰な上昇の妨げ、企業家精神の刺激、雇用の創出等々をもたらす。構造改革を採用することによって、競争力を取り戻し、経常収支を改善することをユーロ周辺国は望んでいる。さらに、改革によって各主体がより力強い将来の成長を予想し、したがって現在の支出を増やすことから、国内経済を刺激することにもなるのだ。
だからといって構造改革は経済が景気後退にある際に行わなければならないのだろうか。総需要が不足している際には、総需要の水準を直接的に押し戻すために政府が公共支出を増やしたり、民間支出を刺激するために中央銀行が金融政策を緩和したりする。そのような場合において、政府が緊縮策(例えば財政収支を安定化し、政府債務の持続性について市場の信頼をえるために)を行わなければならないという制約下にあったならば、総需要の落ち込みは加速することになる。ところがそうしたショックが特に激しいものであった場合、経済を完全雇用に戻してデフレを回避するために中央銀行が政策金利を引き下げても、それは十分なものとはならない。一たびデフレが起きれば、景気後退は深刻化する。価格と賃金の継続的な下落を見通すことにより、民間主体は支出を将来に持ち越すインセンティブを持つことになり、それによって企業はさらに価格と賃金を下げる。デフレとは実質金利の上昇も意味し、これは債務負担の増加となる。家計と企業は借り入れを行わないようになり、その逆に債務返済を行うことで、耐久財購入がさらに落ち込むことになる。
Jesús Fernández-Villaverde及びJuan F Rubio-Ramirez (2011)を始めとする一部の研究者は、構造改革の実施は例え景気後退の最中であっても、民間主体の現在の支出を増加させると主張する。なぜなら、構造改革によって長期の成長加速が予見されるからだ。構造改革は拡張的効果を持ち、したがって流動性の罠から抜け出すために使うこともできると結論付けている。Gauti Eggertsson, Andrea Ferrero及びAndrea Raffo (2013)は、そうした楽観論から程遠い。彼らによれば、デフレの際に構造改革が実施されると、政策金利がゼロ下限に達しようとも[2]、価格と賃金の柔軟性はさらに高いため、その落ち込みは加速することになる。この場合、大量の失業が生まれる中で雇用の保護が失われることを見通し、家計もまた支出を控えるようになる。
Eggertssonとその共著者によれば、構造改革は政府と中央銀行がそれによる総需要への影響を相殺することができるのでない限り、景気後退の時期に実施することはできない。そうした相殺ができない場合、構造改革は経済活動の収縮を悪化させる。信頼を醸成して投資へのインセンティブを生むどころか、改革は悲観論と貯蓄行動を持続させる。その結果、長期に及ぶ失業をもたらし、企業の投資意欲を損なうことで、改革は潜在成長も悪化させることとなるのだ。
[2] 訳注1;原文では「ゼロ下限に達したとしても」という表現になっているが、Eggertssonらの論文ではむしろ、「ゼロ下限に達するからこそ」というほうが正確に思える。
単一通貨の導入によって、ユーロ圏は深刻なマクロ経済的不均衡を蓄積することとなった。一部の国は経常黒字を享受し、その一方で他の国は多大な経常赤字を拡大させていた。こうした不均衡によって、「周辺」国の競争力喪失を説明できる。そうした国のドイツに対する実質為替相場は、2000年から2008年位かけて6~15%上昇した [Eggertsson他, 2013]。こうした競争力の喪失は、非貿易財市場、とりわけ不動産部門において見られた顕著な価格上昇を部分的に説明する[1]。2008年に不均衡が乱暴に解消された際、周辺国は深刻な景気後退へと陥り、公的債務は必然的に急上昇した。
経済危機に際して、ユーロ圏の各国は経済活動の刺激を目的とした為替相場の調整を行うことはできない。その結果、周辺国は為替相場切り下げに代わるをもたらすものを模索した。そのため、彼らは生産物市場や労働市場の競争を高めるための構造改革を実施した。そうした改革とは、企業の独占力や、労働者の交渉力を減らすということだ。これにより改革は、購買力にとって追い風となる価格の下落、賃金の過剰な上昇の妨げ、企業家精神の刺激、雇用の創出等々をもたらす。構造改革を採用することによって、競争力を取り戻し、経常収支を改善することをユーロ周辺国は望んでいる。さらに、改革によって各主体がより力強い将来の成長を予想し、したがって現在の支出を増やすことから、国内経済を刺激することにもなるのだ。
だからといって構造改革は経済が景気後退にある際に行わなければならないのだろうか。総需要が不足している際には、総需要の水準を直接的に押し戻すために政府が公共支出を増やしたり、民間支出を刺激するために中央銀行が金融政策を緩和したりする。そのような場合において、政府が緊縮策(例えば財政収支を安定化し、政府債務の持続性について市場の信頼をえるために)を行わなければならないという制約下にあったならば、総需要の落ち込みは加速することになる。ところがそうしたショックが特に激しいものであった場合、経済を完全雇用に戻してデフレを回避するために中央銀行が政策金利を引き下げても、それは十分なものとはならない。一たびデフレが起きれば、景気後退は深刻化する。価格と賃金の継続的な下落を見通すことにより、民間主体は支出を将来に持ち越すインセンティブを持つことになり、それによって企業はさらに価格と賃金を下げる。デフレとは実質金利の上昇も意味し、これは債務負担の増加となる。家計と企業は借り入れを行わないようになり、その逆に債務返済を行うことで、耐久財購入がさらに落ち込むことになる。
Jesús Fernández-Villaverde及びJuan F Rubio-Ramirez (2011)を始めとする一部の研究者は、構造改革の実施は例え景気後退の最中であっても、民間主体の現在の支出を増加させると主張する。なぜなら、構造改革によって長期の成長加速が予見されるからだ。構造改革は拡張的効果を持ち、したがって流動性の罠から抜け出すために使うこともできると結論付けている。Gauti Eggertsson, Andrea Ferrero及びAndrea Raffo (2013)は、そうした楽観論から程遠い。彼らによれば、デフレの際に構造改革が実施されると、政策金利がゼロ下限に達しようとも[2]、価格と賃金の柔軟性はさらに高いため、その落ち込みは加速することになる。この場合、大量の失業が生まれる中で雇用の保護が失われることを見通し、家計もまた支出を控えるようになる。
Eggertssonとその共著者によれば、構造改革は政府と中央銀行がそれによる総需要への影響を相殺することができるのでない限り、景気後退の時期に実施することはできない。そうした相殺ができない場合、構造改革は経済活動の収縮を悪化させる。信頼を醸成して投資へのインセンティブを生むどころか、改革は悲観論と貯蓄行動を持続させる。その結果、長期に及ぶ失業をもたらし、企業の投資意欲を損なうことで、改革は潜在成長も悪化させることとなるのだ。
[2] 訳注1;原文では「ゼロ下限に達したとしても」という表現になっているが、Eggertssonらの論文ではむしろ、「ゼロ下限に達するからこそ」というほうが正確に思える。
参考文献
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