2013年9月27日金曜日

供給ショックと需要ショック

Martin Anota "Chocs d’offre, chocs de demande"(23 Septembre 2013) -D'un champ l'autre



主流派経済学は、経済サイクルに関して対立する二つの説明を発展させている。リアルビジネスサイクル理論によれば、経済活動の変動は供給ショックを原因としている。そうした供給ショックには気候変動、自然災害、石油ショックと反石油ショック、戦争、政治不安、規制についての政府の決定(輸入割り当ての実施など)、技術ショックが含まれる。最後に挙げた技術ショックは、新しい古典派によるモデル化においてはとりわけ重要な地位を占めているが、ここには生産要素の質の変化や作業組織の変更、新規製品や新生産方式の開発等を含んでいる [Snowdon et Vane, 2005]。これらの多様なショックは、生産性を大きく変化させることで経済活動に根本から影響を与えうる。

リアルビジネスサイクル理論は、フィン・キドランドとエドワード・プレスコットの論文 (1982)によってまず定式化された。その論文が登場するまでは、新しい古典派(特にロバート・ルーカス)は景気サイクルは貨幣的ショックによって引き起こされるという考えを受け入れていた。キドランドとプレスコットは、景気の変動は実物ショックのみによってしか引き起こされないと主張した。経済は定常的に均衡しているため本質的に釣り合いのとれたシステムであるという、新古典派的な考えを二人はさらに押し進め、景気サイクルのあらゆる点、景気後退の真っ最中においてすら経済は均衡しているとした。景気後退は、例えば技術的制約のような何らかの制約の変更に直面した各個人の反応の総和によって引き起こされるため、経済主体はそれを避けようとしても無駄ということだ。景気後退が長引いている場合においてすら、経済主体は自らの厚生を最大化する行動をとっているため、経済は最適化された状態にある。経済活動を刺激し、失業を減らすために、新しい古典派はサプライサイド政策の採用を推奨する。というのも、景気回復策は効果がないだけでなく、とりわけ民間経済主体の最適化のための計算の邪魔をすることによって、経済活動を害するからだ。この枠組みにおいて財政は、例えば労働供給や消費、生産、投資、技術革新へのインセンティブといったものを減らすような阻害要因とみなされる。また、個人の意思決定は貨幣的変数ではなく実物要因に依存するため、貨幣政策は経済活動に何ら効果を持たない。

新しい古典派と異なり、ニューケインジアンは景気サイクルの説明にとって信用の他、特に需要が不可欠な役割を持つと考える。彼らは調整の失敗の問題を前面に出す。とりわけ情報の非対称性によって、各経済主体は必ずしも他の経済主体の活動に対する自身の影響力を考慮せずに意思決定を行い、ひいては自身の活動に対しても同じように意思決定を行う。総需要が減少すると、企業にとっては利益確保のために生産を減らしたり人員整理を行うことが合理的となるが、各企業がそれを行うとさらなる需要と利益の急落に直面することとなる。したがって経済は需要の不足と高失業を特徴とする最適下限の均衡に陥り得る。そのような場合には、とりわけ景気対策によって総需要を刺激することによって経済を完全雇用に立ち戻らせるために、公的権力による介入が必要となる。ニューケインジアンが価格や賃金の硬直性を特に強調したからといっても、そうした硬直性はしかしながら経済活動の変動を説明するための決定的なものではないように思われる。たとえ価格と賃金が完全に十何であっても、生産は不安定になり、柔軟性はそうした不安定性を悪化させさえする傾向にある

これら二つの見解は、本質的に相矛盾するものではない。ニューケインジアンは、経済は定期的に供給ショックに見舞われる傾向にあるという考えを認めるが、彼らによればそうしたショックは経済活動の変動の大きさを説明するのに十分ではないという。そのような場合、景気サイクルに対して最も大きな役割を果たすのは需要ショックだ。供給ショックと需要ショックの相対的重要性についての議論は、それ自体が景気対策の効果と有用性を決定づけるだけに、非常に重要となる(原注1)。これはインフレの動きに関連するところで度々具体化する。というのも新しい古典派によれば、生産を引き上げることによって供給と需要の間の均衡を保つために価格の下落が引き起こされる。言い換えれば、経済が何よりもまず供給ショックに見舞われがちであるのなら、生産水準とインフレ率は互いに反対方向に延びるはずだ。もしそれとは反対に、ニューケインジアンが支持するように、景気サイクルはまず第一に需要ショックが原因となるのであれば、価格は景気と同じように伸びることになる。言い換えれば、インフレと生産は同じ方向に動くはずだ。

したがって、インフレと生産との間の一致した上昇の有無を明らかにすることは一部の人間にとって、ショックの本質を暴き、ひいてはこの二つの学派による議論に終止符を打つことに見えるのだ。これはまさしくMichal Andrle、Jan Bruha、Serhat Solmaz (2013)が行おうとしたものだ。1995年~2013年の第一四半期までのユーロ圏を調べることにより、三人は景気サイクルの際に頻繁にインフレと生産が一致して上昇したことを明らかにした。彼らはインフレは生産の変化に一四半期遅れて反応するとしている。さらに、インフレの失業は同じように動いていた。そして最後に、生産とインフレの間の強い相関から、三人の著者はユーロ圏における景気サイクルは主に需要ショックによって引き起こされていると結論している。彼らはしたがってリアルビジネスサイクル仮説を棄却している。

(原注1)一方、ショックの概念の妥当性についての疑念も残っている。例えば、アーヴィング・フィッシャーハイマン・ミンスキーの一連の著作は、金融市場と不動産市場が必然的かつ定期的にバブルと価格の崩壊に見舞われるため、信用のサイクルは内生的であることを示している。リアルビジネスサイクル学派が言うところの技術ショックについても、完全には外生的ではない。例えば、技術革新は義行が行う研究開発費の支出に依存する(とりわけロバート・ルーカスが内生成長にかんする初期のモデルで発展させた考えだ)。もう一方では、例えショックの概念を受け入れたとしても、供給ショックと需要ショックを厳密に区別することの妥当性についても疑念が残っている。一部のニューケインジアン(特にスティグリッツ)が言うように、経済が需要ショックを受けた際(例えば企業の予測よりも遥かに製品の売れ行きが悪かった場合)、このショックは需要ショックへと変わる(企業は生産を減らす)。これはそれぞれの市場を個別に分析することはできないというケインジアンの考えへの立ち返りであるが、これら市場、ひいては経済主体の間に存在する相互依存性によって、マクロのレベルにおいては全くのところ反対となる。つまり、総供給と総需要を切り離して調べることはできないということだ。さらに、景気後退の最中は履歴現象も働いている。つまり、経済活動が沈滞し続けている際、労働者はその能力を劣化させるとともに健康が悪化して生産性が下がり、さらには労働力人口からも外れてしまう。その裏で企業は投資支出を減らし、言い換えれば生産能力(現代の研究においては潜在生産力とされるもの)がその影響を受ける。ただいずれにせよ、供給ショックと需要ショックの区別がはっきりとしていないとしても、景気後退の際には景気変動による失業を構造的なものにせず、また潜在成長を悪化させないために、経済をすぐさま完全雇用に戻すことを目的として、政策当局が経済活動を強く刺激する必要があるというニューケインジアンの結論がこれによって変わることはない。




参考文献
SNOWDON, Brian, & Howard R. VANE (2005)Modern Macroeconomics. Its Origins, Development and Current State, éditions Edward Elgar.

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