2013年11月27日水曜日

フィリップ・アギオン「AA+からの陥落:クルーグマンの間違い」

Philippe Aghion "Perte du AA+ : pourquoi Paul Krugman a tort" (11 novembre 2013 le Monde)

アギオンは内生的成長モデルが専門の経済学者。クルーグマンによるフランス国債格下げ批判については、経済学101邦訳がある(再編集されたものだけど内容はほぼ同じ)。



“Ideological Ratings(イデオロギー的な格付け)”と題した 11月8日付のブログで、クルーグマンはスタンダード&プアーズがフランス国債をAA+からAAに格下げしたことを痛烈に批判している。クルーグマンによれば、この決定は完全にイデオロギーによるもので、それは欧州委員会において広まっているフランスの社会モデルを問題であるとする意向だという。クルーグマンはまた、経済成長の決定要因について知っている者はいないとし、さらには増税を柱とする公的債務の削減というフランスの政策が潜在成長を損なうという証拠はないと主張している。

2013年11月24日日曜日

マルタン・アノタ「構造改革は欧州の救い手か?」

Martin Anota "Les réformes structurelles peuvent-elles sauver l’Europe ?" (23 novembre 2013 D'un champ l'autre)



単一通貨の導入によって、ユーロ圏は深刻なマクロ経済的不均衡を蓄積することとなった。一部の国は経常黒字を享受し、その一方で他の国は多大な経常赤字を拡大させていた。こうした不均衡によって、「周辺」国の競争力喪失を説明できる。そうした国のドイツに対する実質為替相場は、2000年から2008年位かけて6~15%上昇した [Eggertsson他, 2013]。こうした競争力の喪失は、非貿易財市場、とりわけ不動産部門において見られた顕著な価格上昇を部分的に説明する[1]。2008年に不均衡が乱暴に解消された際、周辺国は深刻な景気後退へと陥り、公的債務は必然的に急上昇した。

モーリス・アレ「今日の危機」(1)

Maurice Allais"La crise mondiale d’aujourd’hui -Pour de profondes réformes des institutions financières et monétaires"(1998) 

全三部構成のうちの第一部。第二部(アジア通貨危機について)と第三部(改革案)については別途。
アレについては、ここここを参照


今日の危機―金融・貨幣制度の抜本的改革のために

1.1929年から1934年にかけての大恐慌と、その重要な教訓

    1929年の危機は、アメリカにおける不合理な証券取引信用の拡大と、それによる常軌を逸した株価の上昇の結果である。現在の世界危機に関して、多くの点において1929年から1934年にかけての大恐慌以上に教訓となるものはない。過去にヴィルフレド・パレートが述べたとおりである。「歴史は全く同じように繰り返すことは絶対にないということ同様に、我々が要点と呼ぶ特定の部分を歴史が繰り返すということもまた確かである…過去と現在の事実は互いに支え合っている…相互理解のために。

株価の上昇と崩壊

アメリカにおいて、1925年1月2日には121だったダウ・ジョーンズ工業株価指数は、1929年9月3日には381に達し、4年と8カ月で215%の上昇となった。それが10月30日には230にまで下落し、2か月で40%の下落となったが、特定の銘柄はそれ以上に下落した。

ダウ・ジョーンズ指数がようやく底値である41.2をついたのは1932年7月8日であり、3年間で89%の下落であった。それが1925年1月2日の水準を回復したのは1935年6月24日であり、1929年9月3日の水準は1954年11月16日を待たなければならなかった。

1929年から1932年にかけての株価の下落とその余波は、おそらくはそれまでに世界が経験した投機的株価上昇の中でも最も劇的なものの一つだろう。

株価が上昇しているうちは、株を買っている者たち、その多くが信用買いであったが、彼らはその予想が翌日の上昇基調によって裏付けられるのを目の当たりにした。そして上昇は日々続き、前日の予想を裏付けるのであった。

そうした上昇は、株価が明らかに著しく過大評価されていると一部の取引参加者が考えるようになるまで続き、その後それら取引参加者は株式の売却を始めるとともに、株価下落に乗じた投機さえ行った。株価は上昇を止めた途端に下落を始め、下落が下落を呼び、それによって悲観的な見方が蔓延した。下落の拡大は留まることを知らなかったのである。

実体経済に比べ過剰に上昇した株価

1929年10月24日の暗黒の木曜日では、ダウ・ジョーンズはその最高値である1929年9月3日の381から22%の下落となる299まで下がったが、その前日においてすらほぼすべての経済学者は、アメリカの株価上昇は経済の繁栄、一般物価の安定、そしてアメリカ経済の見通しの明るさによって完全に正当化できると考えていた。そうした経済学者の中には、例えばアメリカの最も偉大な経済学者であるアーヴィング・フィッシャーも含まれていた。

しかし、一見すれば1925年から1929年にかけての215%の株価の上昇は、実体面という観点でのアメリカ経済の進展と比べると理解しがたいようにみえる。というのも、1925年から1929年にかけての4年間で実質GNPは13%、工業生産は21%しか伸びておらず、失業率は3%で安定していた。同じ期間において、名目GNPは11%だけ上昇し、一般物価水準は2%下落、マネーサプライ(現金に普通預金と定期預金を加えたもの)は11%しか上昇しなかった[1]。

しかしながら、1925年1月から1929年8月にかけて、ニューヨークの銀行における預金の流通速度は140%上昇した。ウォール・ストリートにおける株価の上昇を招いたのは、こうしたニューヨークの銀行における預金流通速度の上昇なのである[2]。

恐慌

1929年の株価暴落によって生まれた悲観的な見方の高まりは、1929年から1932年にかけて約20%のマネーサプライと約30%の銀行預金の収縮を招いた[3]。その際、連邦準備制度はベースマネーを9%上昇させることでこうした収縮への対処を計ったが、効果はなかった。

投機家たちは株価の購入を短期資金の借入によって賄っていたのであり、高騰した金利によって新たな借り入れが難しいばかりか、債務を返済しようにもどれだけ価格を下げても株が売れないことに気付くこととなった。特定の預金の膨大な引き出しは多くの銀行の倒産を招き[4]、それによってマネーサプライはますます収縮することとなった。

こうした悲観的な見方や行き詰った雰囲気、マネーサプライの収縮によって国内総生産は名目で44%、実質で29%減少し、工業生産は40%、一般物価指数は21%減少することとなった。

失業率は1929年には3.2%だったものが1933年には25%にもなり、労働力人口5100万人のうち1300万人が失業者という事態となった [5] 。当時、アメリカの総人口は約1億2000万でしかなかったのだ。

過剰債務

大恐慌の被害を酷く深刻なものとしたのは、1929年の株式市場崩壊に先駆けて蔓延していた過剰債務だった。そしてこの過剰債務はアメリカ国内だけでなく、国外にも広がっていた。

・アメリカ国内においては、家計及び企業の債務総額[6]の大部分は銀行からの借入だったが、これは1921年から1929年にかけて大規模な拡大を見せた。1929年にはアメリカの国民総生産の1.6倍にもなっていたのである。大恐慌による価格の下落と生産の減少によって、これら債務の負担は支えきれないものとなった。

それと並行して1921年から1929年の間、連邦政府や州及び自治体の債務も同様に大きく上昇した。1929年にはそれぞれGNPの約16.3%、13.2%に上っていたのである。

・アメリカ国外においては、1921年にドイツが負う賠償金総額が330億ドルと決定され、これは1929年におけるアメリカのGNPの約32%に相当する。ヨーロッパ各国は戦時債務として[7]約116億ドルをアメリカに負っており、これはアメリカのGNPの約11% ((訳注;明示はないが、1929年のGNP)) である。

そして、主に銀行による貸付からなる民間貸出の総額は、1929年時点でアメリカのGNPの13.5%に相当する140億ドルとなっていた。また、これらの多くはドイツに対して向けられたものである。

戦時債務は支払不可能であった。ドイツが返済できた債務はごく一部であった上、その多くは借り入れによって賄われたのである。

大恐慌を酷く深刻なものとしたのは、これら債務負担と、その結果としての短期の国際資本移動であり、そしてそれらを招いたのはヨーロッパとアメリカの経済間のありとあらゆる複雑な相互依存である。実際、大恐慌に際してこれら全ての債務は、削減及び繰り延べせざるをえなかった。

大規模な資本移動と通貨切り下げ競争

アメリカを発端とする大恐慌は、先進国各国へと広がり、あちこちで経済の崩壊や失業、貧困、困窮を招いた。

1931年9月にイギリスが金本位制を放棄したのち、連鎖的な通貨切り下げが続いた。最も象徴的なものは1933年4月のアメリカによる金本位制放棄である。

通貨に対する投機、大規模な資本移動、競争的な通貨切り下げ、そして国外の混乱を防ぐために各国が行った保護主義的政策によってこの期間全体は特徴づけられる。

為替相場は最終的に、1936年末頃に通貨切り下げの連鎖が起きる前である1930年のそれと大差がないところに落ち着いた。

心理的要因と貨幣的要因

1925年から1929年にかけての株価上昇が、同時期におけるアメリカの実体経済の進展と比して理解しがたいものであるとすれば、1929年から1932年にかけての実体経済の活動の落ち込みの不可解さも、少なくとも一見上はそれに劣るものではない。株価の下落はどのようにして、それ自身が経済活動の減退を引き起こすことを可能にしたのだろうか。

この二つの現象は一見すると幾分不可解にも見えるが、実際ところ心理的要因と貨幣的要因の双方を考えてみれば完全にはっきりとするのである。

経済が順調である際には、所望の現金(les encaisses désirées)は減少し、その結果として総支出が増加する。経済が不調である場合は、所望の現金が上昇し、総支出は減少する[8]。同様に、上昇すると信ずることが銀行支払手段を無から(ex nihilo)作り出すことを引き起こし、下落への懸念は無から作り出された支払い手段の破壊を生み出す[9]。

上昇は上昇を呼び、下落は下落を呼ぶ。株式の上昇や下落に投機する者たちが気にするのは「ファンダメンタルズ」ではなく、自分以外の全てがするであろう心理的評価なのである。

1929年から1934年の大恐慌と信用メカニズム

1929年から1934年にかけての大恐慌の発生と進展は、信用メカニズムの有害な効果を示すのには正しく最良の事例である。

  • 銀行システムによる無からの貨幣創造
  • 部分的な預金準備
  • 短期の資金借入れによる長期投資のファイナンス
  • 信用による投機のファイナンス
  • 貨幣の実質価値の変化とその結果としての経済活動の変動

1929年の危機が大規模なものになったのは、アメリカにおいて信用売買が不合理なまでの拡大したことと、それによって可能となった、あるいはそれが引き起こした常軌を逸する株価の上昇の結果である。

1929年に至るまでの経済の繁栄と株価の上昇に対する支配的な見方は、全面的肯定にも等しいものであった。それは「ニュー・エラ」、全世界へと開かれた全面的繁栄の新時代とされていたのだった。

しかしながらこれまでの研究は、経済繁栄については実体面を慎重に考慮する必要があることを示している。すなわち、潜在的な不均衡の進展は、初めは比較的大したことがないように見えるものの、それが具体化、累積すれば集団心理の根底からの変化を招きうるからである。

1929年危機

1929年の株式市場崩壊に先立つ数年間においてアメリカを始めとする各国が享受したニュー・エラの本質を言い表すとすれば、それはすなわち無知である。19世紀に起きた全ての危機と、それらの実際上の意義に対する本質的無知なのである。

1929年から1934年にかけての危機は、実のところ19世紀に起きた数々の危機の焼き直しでしかなく[10]、その中でも1873年から1879年にかけてのかけての危機は、おそらく最も類似しているものの一つであろう。

実際、18世紀、19世紀、そして20世紀に起きた危機は、おしなべて過剰なまでの支払契約とその契約の貨幣としての流通が行き過ぎることが原因となっているのである。[11] [12]いつの時代も場所を問わず同じ原因が同じ現象を生み、起きるべきが起きているのである。

クレマン・ジュグラーやアーヴィング・フィッシャー[13]のような最も明晰な経済学者たちは、数々の危機のメカニズム、発生、進展について洞察し、分析を行った。残念ながら彼らは理解されず、耳を傾けられることはなかった。もし彼らのメッセージが完全に受け取られ、その分析が完全に理解されていたのであれば、現在の状況は全く違ったものとなっていただろう。



[1]原注1;マネーサプライM1(現金と普通預金)は3.8%増加し、マネーサプライM2(M1に定期預金を加えたもの)は10.8%増加した。ベースマネーB(現金と連邦準備制度への預け金)の増加は0.9%だけだった。M1-BやM2-Bで表される銀行預金の伸びは、それぞれ5.0%、12.8%でしかなかった。

[2]原注2;総支出はマネーサプライと貨幣の流通速度との積に等しい。

[3]原注3;実のところマネーサプライM1は21%、マネーサプライM2は23%減少し、M1-BとM2-Bはそれぞれ31%、28%の現象だった。))

[4]原注4;部分的な預金準備という制度下においては、どの銀行も大量の引き出しに対応することはできない。アメリカでは、1931年に2550もの銀行が破たんした。

[5]原注5;当時、失業者に対する援助は民間慈善事業しかなかった。

[6] 原注6;消費者向け貸出、住宅ローン、企業負債

[7]原注7;アメリカは不当にもこれを単なる商業的な負債と同様に考えていた。

[8]原注8;総支出の変動Dは次の二つの要素を含んでいる。すなわち、民間保有の現金総額M(これはマネーサプライと等しい)と所望の現金の総額Md(取引参加者が保有したいと考えている現金量の総和に等しい)との相対的な差がまず一つであり、もう一つはマネーサプライMの相対的な上昇である。
所望の現金の総額は、本質的には心理的要因に依存する。楽観的な機関においてはMdは減少し、悲観的な期間においては上昇する。Mdの減少は、すなわち常に総支出Dの上昇と結びついており、Mdの上昇は常に総支出Dの減少と結びついているのである。これにより景気後退は悪化することになる。(Allais, 1968, Monnaie et Développement. I. L'équation fondamentale de la dynamique monétaire, p. 83)[右掲書の付録では、貨幣動学の基本的な方程式についての説明がある。]

[9] 原注9;銀行通貨(訳注;手形小切手など)の創造には2つの意欲が関わってくる。すなわち貸し出しを行う銀行の意欲と、借り入れを行う経済主体の意欲である。経済的繁栄の時期には、双方の意欲が存在し、銀行通貨は増加する。景気後退の時期には双方の意欲が消滅し、銀行通貨は減少する。

[10]原注10;1837年の危機の際、レオナルド・ベーコン司祭は5月21日の説教で次のように宣言した。「数か月前、私たちの国の比類なき繁栄は普遍的な祝福の的でした。そうした財産の増加、急速に拡大する個人や公共の富、偉大な冒険精神の現れ、力強くまた合理的とも見えるとどまることない成功の可能性への信頼、これらは過去には決してなかったものです。しかしそうした繁栄の全てはあまりにも突然に止まってしまいました!先に述べた信頼は、今日とりわけ私たちの国においては商取引の基盤となるものですが、時とともに崩れていっています。私たちの国のあらゆる金融業者はもだえ苦しみ、混乱しているようです。堅実な原則の下に…事業を営む業者は…損失に損失を重ね、しまいには工場を閉め労働者を解雇するという事態に陥っています。富を求めた投機家は、夢見た富が吐息の如く宙に消えるのを目の当たりにしています。…これから先にどういったことが起こり得るのでしょうか…こうした苦境が刻一刻と広がり、一層深刻なものとなっているということを知るだけで十分です。」(Irving Fisher, Booms and Depressions, 1932)(訳注;原文では英語のまま引用されているが、便宜上訳出した。なお、フィッシャーの原文はここで読める。また、一部のみ邦訳されている。)

[11]原注11;19世紀に起こった危機に関し、クレマン・ジュグラーが1860年の時点で既に書いている。「商業的危機(Les crises commerciales)は信用の動きの根本的変化の結果である。信用とは何であろうか。後で払うという約束と交換で得られる単なる購買力だろうか。…銀行や銀行家の役割とは後に支払いを受けるという約束とともに負債を購入することである…人々は信用の創造を濫用しがちであり、そうした濫用によって信用創造それ自体が商業的危機を招くのである。
信用は第一の原動力であり、推進力をもたらす。単なる商業手形や為替手形への署名により、無限とも思える購買力をもたらすのは信用なのである…商業の発展、価格の上昇に資するもの、それは信用である…商品の取引一つ一つが新たな支払いの約束を生み出す…」(Clément Juglar. Des Crises commerciales et leur retour périodique. 1860. 2ème édition, 1889)(訳注;原文はこちら

[12]原注12;貨幣動学の因果関係に関する総合的な分析については、拙著"Économie et intérêt"(Éditions Clément Juglar, 62, avenue de Suffren. Paris 15e. Tél : 01.45.67.48.06)の第二版導入部で示した。私の分析についてのさらなる文献については、pp. 116 及び 117, 154 と164-165を参照せよ。))

[13]原注13;特にFisher "Booms and Depressions(1932)","Stamp Scrip(1933)","Stable Money A History of the Movement(1934)","100% Money(1935)"を参照のこと。

2013年10月30日水曜日

アメリカの経済成長は枯渇したのか?


Martin Anota"La croissance américaine est-elle épuisée ?"(17 septembre 2012)




ロバート・ゴードン(2012a, b)では、アメリカにおける長期での成長の動きについて、まずは2007年以前の大きな流れに立ち戻り、その次にアメリカ経済がこの先数十年で辿るであろう成長の道筋を検討している。この分析においては、例え大停滞が潜在成長に対して深刻な構造的影響を与えた可能性があるのだとしても、それは明示的に考慮から除外されている。またこの分析はアメリカ経済に焦点を当てている。というのも、19世紀末以降イギリスに変わって世界経済の中枢、世界の成長の原動力となって最先端技術と生活水準を伸ばし続けてきたのは、まさにアメリカ経済であるからだ。将来もはやアメリカが最先端技術を伸ばしていないとすれば、それは他の国が取って代わって伸ばしているか、そうした伸展が不可能であることが明らかとなり、成長の見通しがはっきりとした形で変化したからだろう。

ゴードンはいくつかの際立った事実を強調している。

1.1750年から2007年までの期間は、経済史上の例外であることが明らかとなる可能性がある。一人当たり実質GDPの成長は、1700年以前においてはほぼゼロだったのであり、GDPはこの時期から加速し始めた。この250年間と同じ速度で将来も成長が続く保証はない。

2.技術先進国における一人当たり生産量の成長は、1750年から20世紀中盤まで加速し、アメリカにおいては1928年から1950年にかけて頂点に達した。生産量の成長はそれ以降減速し続け、2100年には0.2%ととなる可能性がある。1700年以前においては、一人当たりの収入が2倍になるのには数世紀を要したが、アメリカにおける一人あたりの収入は1929年から1957年にかけてのたった28年で2倍となり、1957年から1988年にかけての30年でさらに倍増した。しかし21世紀においてこの成長は、2007年の水準が2倍となるのには2100年までかかるというほどまでにゆっくりとしたものとなる可能性がある。こうした半定常状態への収束は景気変動とは完全に無関係で、構造的な傾向だ。いくつもの先端分野で既に現れているとおり、生産性の増大、ひいては成長を行うのに決定的に重要となるイノベーションの伸展は、収穫逓減の壁にぶつかっている。

3.経済史においては3つの産業革命が存在している。最初は1750年から1830年にかけて起こった。この際の主要なイノベーションは蒸気機関、綿紡績、鉄道だ。その次の革命は1870年から1900年にかけて起こった。主要なイノベーションは発電、内燃機関、屋内の上下水だ。これら2つの革命においては、その経済に対する効果が完全に発揮されるまでに1世紀を要した。第2の革命によって起きたイノベーションは1960年代に経済を再度根底から変革した。70年代以降に観測された生産性の減速は、これらイノベーションによる可能性全部が完全に使われたことで説明できる。

4.第3の産業革命は60年代に始まって90年代にはその頂点に達し、インターネットバブルやニューエコノミーによる楽観論を引き起こした。パソコン、インターネット、携帯電話などがその主要なイノベーションだ。これによる生産性への影響は過去10年でかなりの程度弱まった。単純作業については、70年代から80年代によって機械による仕事の代替が起こった。2000年以降に起こったイノベーションによる生産性や生活水準に対する影響は、比較的にはごくわずかだ。

5.イノベーションの進展とは、最初のイノベーションの潜在力を完全に活用するための、一連のささやかな発明による漸進的な改良と捉えるべき。この進展は、最初の2つの産業革命においては100年かけて起こったのに対し、3つ目の革命においては非常に速く展開した。

6.現在進行中のイノベーションはこれからも生活水準の向上に寄与するが、これまでに比べればその速度は遅い。これは経済活動を引き起こすイノベーションの力が以前よりも弱まるということだけでなく、アメリカ経済がそれに加えて潜在成長力を強く押し下げる6つのマクロ動学的要因を抱えているからでもある。アメリカの成長率は、過去20年間のそれを大きく下回るだろう。さらに、一人当たり実質消費の成長は、下位99%の家計においては輪をかけて弱まる。

ゴードンはここでアメリカの成長の重しとなっている6つの制約を特定している。これら制約は2007年に既に顕在化しているが、今後数十年でより一層激しさを増すだろう。いくつかのものは他の先進国にも通ずるものであり、またいくつかはアメリカ特有のものだ。

1.人口分布の偏りは、過去においては経済発展にプラスの影響を与えたが、今後はそれとは逆方向に働くこととなる特異な事例だ。今日、ベビーブーマーたちは次々と引退生活に突入している。一人当たり労働時間は減少し、したがって一人当たり生産量は生産性よりもゆっくりと上昇することになる。平均寿命の向上が、この経済活動に対するマイナス効果を下支えするだろう。

2.アメリカでは、教育水準の上昇がここ20年頭打ちとなっている。高等教育費用の高騰が学生の負担の膨張を招き、それが低所得層の大学進学意欲を減退させているのだ。アメリカで教育システム達成度の国際ランク、特にPISA調査での後退が起きている。人種グループ間の学習到達度格差は広がっているのだ。ヒスパニックの学習達成度は低いため、教育人口比率における彼らの進展が国全体で見た到達度の下落につながっている。また、格差は男女間でも広がっている。

3.不平等の進展は、大多数の国民から成長の恩恵をはく奪している。1993年から2008年にかけての家計の実質所得の年間成長は平均1.3%であったが、この期間に起きた上昇分の半分以上は上位1%の家計が占めた。中期的に所得格差の拡大を逆転させる、ないし抑制するものは存在しないように見える。

4.グローバリゼーションと情報・通信技術の発展は、途上国の追い上げを加速し、先進国における賃金と実質所得の切り下げ圧力を上昇させる危険な相互作用となる。外注化や輸入は、アメリカの労働者を海外の労働者との競争に直接追いやるのだ。世界経済は、相対的に賃金が高い国にとっては痛手としかならない要素価格の強力な均等化の劇場なのであって、これはヘクシャー・オリーン・サミュエルソンの定理に従うところである。

5.地球温暖化への対応策の実施は、アメリカ経済に影響を及ぼすだろう。アメリカにおける炭素税の導入は、とりわけ燃料価格の上昇を招くことで、それ以外の物へ支出するための家計の予算を削ることとなる。それに対し、中国とインドにおいては依然として、より多量の温室効果ガスの排出を行っているが、環境財政政策によって自らの成長を制約することについては両者ともに沈黙を保っている。そうした方策は、今日の先進国が工業化を行った時期には課せられていなったものなのだ。

6.アメリカの経済成長に対する制約の最後{1} は、政府・民間債務の安定化だ。家計の債務解消は、回復への活力の足枷となっている。政府債務を持続可能な道筋へ引き戻すことも、GDP成長率にとっての重しとなる。

これら6つの大きな流れによる影響は数値で言えばどの程度になるだろうか。この問いに答えるにあたってゴードンは、一人当たり実質GDPの成長がイノベーションによって2007年以前の20年間のそれと同水準、つまり年率1.8%に保たれるという仮定をまず置いている。したがって、イノベーションが近いうちに起こり、インターネットと同レベルの影響を生産性に与えるということを彼は仮定している。こうした楽観的な仮定を置いてさえ、ベビーブーマーの現役引退によって成長率は1.6%に下がり、教育の躓きによってさらに1.4%へと下がる。不平等の上昇が続くのであれば、下位99%の家計の所得成長は年率1.4%となり、成長率は0.9%まで下がる。{2} 次に、グローバリゼーションとエネルギーへの課税強化のそれぞれが成長率を0.2%ずつ切り下げる。最後に、家計による債務解消、税の引上げ、所得移転の削減によって一人当たり実質GDPの成長率は0.2%にまで引き下げられる。{3} 債務の返済があるために、下位99%の家計による実質消費の伸びは実質GDPよりも低くなるだろう。{4}


{1}訳注1; 原文(une ultime contrainte)は「最終的な(究極的な)制約」との意になるが、元の論文では単に6つの逆風の中の最後という意味になっているので、後者に合わせた。

{2}訳注2; 原文は、「家計所得の成長が0.9%になる」という意味の文になっているが、元の論文と照らし合わせると誤りであるので、修正をした。

{3}訳注3; なおゴードンは、これらの数字はsuggestionであり、数字それ自体は重要でないとしている。というのも、この数値は1300年から1700年(つまりは産業革命以前)のイギリスの成長率である0.2%に合わせるように意図的に選ばれている。

{4}訳注4; 原文は、「実質消費の上昇は債務の返済よりもゆっくりとしたものになる」という意味の文となっているが、元の論文と照らし合わせると誤りであるので、修正をした。





参考文献

2013年10月2日水曜日

急停止と債務デフレ

Martin Anota "De l’arrêt soudain à la déflation par la dette"(29 septembre 2013) D'un champ l'autre


参考:本エントリで参照されているAccominottiとEichengreenのVOX論説が示している、大恐慌前の中欧諸国と昨今のユーロ危機の類似性は、クルーグマンも知らなかったと言って褒めてたりします。ただ、Anton KorinekとEnrique Mendoza (2013)によると急停止(Sudden Stop)後の回復は弱々しい(faible)、とアノタは書いています(原論文が有料で読んでないため詳細は分かりません)が、クルーグマン、あるいは急停止を最初に言い出したギレルモ・カルボ的にはそうでもないようです。


世界経済は金融不安の新たな波が押し寄せる前夜にあるのかもしれない。大停滞、ゼロレベルに限りなく近づいた先進国の政策金利、ユーロ圏のソブリン債危機の深化といった要因により、投資家はより利益のあがる投資機会を世界の他の場所に求めた。多くの新興国経済がそれによって、多大な資本流入の恩恵を受けた。市場は今、近い将来でのアメリカの金融政策の収縮を予測しているために、新興国は流入資本の引き上げによって国際収支上の危機を迎える可能性がある。新興国が現在経済成長の鈍化を迎えていると多くの指標が示しているが、そうした指標はこのシナリオが現実化する方向に動いている。

実際、アナリストたちは20年前と同じような出来事が再現されることを恐れている。すなわち、アメリカによる政策金利の引上げの直後、1994年12月20日からメキシコは後に「急停止(sudden stop)」と名付けられることとなるものを味わった。この急停止は、経常収支の突如の改善をもたらす、海外資本の流入の急激な逆流によって特徴づけられる。それによって海外からの資金調達ができなくなったメキシコ経済は、株価の崩壊、為替の大幅な減価、深刻な経済活動の収縮に見舞われ、その影響はおおむね大恐慌によるものと肩を並べるものだった。さらに、この現象はしばしば突如として波及する。メキシコの危機を例に挙げると、これは1995年のアルゼンチンでの急停止を引き起こし(この伝播は「テキーラ効果」と名付けられている)、その裏では1997年アジア通貨危機がとりわけ韓国、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイを襲った。

こうした危機の波及によって、90年代後半には経済学者の関心が金融不安の研究へと向くことになったが、そうした研究はとりわけ発展途上経済に焦点を当てていたのであり、それらの研究者は先進国においては金融システムが十分に発達しており、経済政策も十分健全であるために、そうした事例とは無縁であると考えていた。しかし、2008年から2009年にかけての大停滞において複数ものヨーロッパの国(その当時はスペイン、ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル)が味わったのは、正しく資本流入の急停止であった。

Olivier Accominotti及びBarry Eichengreen (2013)は、そうした昨今のヨーロッパの事例と、大恐慌の直前に中欧諸国が経験した一連の騒動との間の多くの類似性を記している。1924年から1928年にかけて、ヨーロッパの多数の国が、2001年から2008年にかけてと全く同じように、それ以外の欧州各国と世界各地から多額の資本流入を得ていた。そしてこの双方の事例において、資本の流入先の各国はその多大な経常収支赤字をさらに悪化させた後に、急停止を経験している(それぞれ1929年と2009年に)。ドイツ、オーストリア、ハンガリーが当時抱えていた経常収支赤字は、今日のギリシャ、アイルランド、イタリア、スペイン、ポルトガルほどではなかったものの、三国が急停止に続いて経験した資本収支の収縮は、今日の事例におけるものよりも大きなものだった。確かに、ユーロ「周辺国」が2008年から2011年にかけて経験した民間資本流入の収縮は、独墺洪三国のそれよりも大きなものだったが、公的資本の上昇が経常収支の調整を和らげたのだ。AccominottiとEichengreenは、1929年から1931年にかけての中欧諸国が(90年代の際の新興国と全く同じように)騒乱に対して何よりもまず外貨準備を支払うしかなかった一方で、ユーロシステムはしたがって集団的な保険を提供したようだとこれを結論している。

Anton Korinek及びEnrique Mendoza (2013)は、1978年から2012年までに先進国、途上国で起こった様々な急停止から複数の事実を類型化したうえで参照している。典型的には、急停止は突然の経常収支ないし貿易収支改善という形をとった、資本移動の急激な逆流によって特徴づけられる。また、それに先行してGDPや消費、投資のトレンドを外れた成長を特徴とする拡大期間があり、貿易収支の悪化、為替レートの増価、株価の急上昇も起こる。急停止の後には、マクロ経済上の主要な集計(GDPで言えば消費と投資)が減少する。そして経済は深刻な景気後退を経験するが、その後には弱々しい回復が伴う。例えば、急停止の2年後において株式市場の回復は、失った分の5分の2でしかない。KorinekとMendozaは、急停止の影響は先進国と途上国では異なると指摘している。前者の回復は後者のそれと比較するとより遅い。また、新興国においては実質為替レートが急激に上昇した後に、急停止とそれに続く為替レートの正に崩壊が起こるという特徴がある一方で、先進国はそのような大きな動きは見せない。

Korinek及びMendoza (2013)によれば、急停止による金融波及メカニズムは、Irving Fisher (1933)が指摘した負債デフレ(debt-deflation) の展開と似通っているという。海外からの借入を行っており、なおかつ担保制約下にある経済を想定してみてもらいたい。拡大期においては、各主体は債務のレバレッジを引き上げ、したがって経常収支は反景気循環的になる。レバレッジが十分な水準にまで上ると、担保制約によって各主体は支出の減少を余儀なくされる。この総需要の下落は実質為替レート、相対価格、株価の崩壊を伴う。株式は担保として用いられているため、その価格の下落は各主体の抱える制約をさらに引締め、さらなる支出の減少を誘発する。したがって経済は、借入能力の下落、支出の下落、株価の下落の三者が互いに互いを引き起こす負のスパイラルへと囚われる。このメカニズムでは、経済主体が自国通貨とは異なる通貨建ての負債(例えば新興国における米ドル…もしくはユーロ圏の国におけるユーロ)を抱えていることが、よりいっそう裏目となる。

AccominottiとEichengreenは、1920年代および30年代における資本の移動を調査し、その決定要因を明らかにすることを試みた。それにより、各国家特有の事情、とくに借入能力は中欧諸国に対する大量の資本流入と急停止の説明とならないことが判明した。その代わりに国際資本移動の鍵となる決定要因は、国際資本市場の状況(借入国内の状況にとって外生的)である。すなわち、AccominottiとEichengreenは所与の金融センターから生じる資本の量と、(訳注;その同じ市場における)長期金利及び市場のボラティリティ―との間の強い負の相関を指摘している。対象としている期間は異なるものの、Eichengreenの結論は、リスクの認知が過去30年間における資本の流れに対して大きな役割を果たしたという、昨今の複数の研究(とりわけHélène Reyの)のそれと整合的である。




参考文献

2013年10月1日火曜日

財政緊縮は不平等を上昇させる(2)


Martin Anota "L’austérité accroît les inégalités (bis)"(18 septembre 2013) D'un champ l'autre





大停滞期における債務比率の上昇は、多くの政府をして債務持続性や債券市場からの信頼を維持するための財政緊縮策の実施に走らせた。経済がその潜在力へ回復しておらず、完全雇用からはかけ離れているうちは、拡張的政策を続けなければならなかったのにも関わらず、その反対に政府は公的支出の削減や税の引き上げの双方もしくは一方によって、順景気循環的な政策を選択した。こうした施策は経済活動の回復を遅らせ、特定の国に置いては正真正銘の経済収縮さえ引き起こした可能性があるが、それだけでなく公的債務の更なる上昇をもたらした可能性もある。債券市場の安定はつまるところ、欧州中央銀行が最後の貸し手としての役割を完全に果たすというコミットメントによっているだけに、これらの財政再建策は結局のところなおさら空しいものであったように思える。

先般、Laurence Ball, Davide Furceri, Daniel Leigh及びPrakash Loungani (2013)は、予算緊縮の各事例がどのように所得不平等を悪化させたかを調査した。彼らの研究は、財政緊縮策が所得分配に影響を与えた可能性のある様々な経路を明らかにすることに特に力点を置いていた。IMFによる新たなワーキングペーパー、Jaejoon Woo, Elva Bova, Tidiane Kinda及びSophia Zhang (2013)は、財政再建の事例に特に焦点をあてつつ、多数の先進国及び途上国からなるサンプルを用い、過去三十年間における財政政策の所得に対する影響を分析している。彼らの分析結果は、財政再建が多様な経路、とりわけ失業に対する効果を通じて不平等を上昇させる可能性があることを示唆しており、Ballらによる先行研究の結果とも整合的である。Wooらの分析によれば、GDPの1パーセントポイントの財政再建は、平均して0.4から0.7%のその後2年間でのジニ係数の上昇と関係している。こうした不平等の上昇のうち、15から20%は失業の悪化によって説明される。さらに、財政再建が公的支出の削減によるものである場合、税の引き上げによるものと比べて、不平等を悪化させる可能性がいっそう高まる。

Wooらは続いて、税の累進性と社会給付は、可処分所得がより低い層と関係していると指摘する。さらに、中低所得層の教育や労働者訓練を推進することによって、財政政策は所得分配と経済成長に好影響をもたらしうる。高技能職に有利となる技術進歩が不平等を進展させる一方で、進学率の上昇は不平等の減少と関連している。80年代以降先進国によって行われている、社会保障を気前の良さや所得税の累進性を減じるという改革が、その年代以降観察されている不平等の上昇において大きな役割を果たしたという本論文の主張を、上記全ての結果が裏付けている。

昨今の世界危機に関して、このIMFによる研究は(先行研究と全く同様に)、経済が腰の強い成長を取り戻さないままになされた先進国による2010年以降の予算引締めは、所得分配にとりわけ悪い影響をもたらしたことを示唆している。しかしながら、不平等に関する最新のデータは多くの国において2010年中ごろ迄のものであり、こうした効果を推計するためのデータ利用上の制限を著者らは抱えている。それら最新のデータはしかしながら、不平等が最も増大したのは最も大きな失業の上昇を経験した国であり、それよりは程度は小さいながら、最も景気刺激策の自由裁量が小さかった国もまたそうであることを示している(図を参照)。著者らは、利用可能な最新データが2011年のものまであるアイルランド経済に特に注目している。アイルランドでは、危機の初期においては資本所得の減少(そしてその結果としての高所得層の所得減少)、税の引き上げ、所得移転の増加によって不平等が減少した。しかし、景気停滞の深化とその後の財政政策の引き締めにより、不平等はその後に悪化した。この不平等の上昇は、公的債務比率の安定化を難しくする総需要の減退を伴う、経済成長の圧迫要因であっただけに、なおいっそう時期の悪いものであった。これら二つのIMFワーキングペーパーは、したがってNGOオックスファムと結論を一にしている。数日前オックスファムは、欧州において実施された様々な緊縮策は、2015年には2500万人にまで及ぶ人々を新たに貧困に追いやる可能性があるとしている。


図:欧州各国における失業とジニ係数の進展(2007-2010)





緊縮策を遅らせないのであれば、政府が財政再建策の社会的影響を最小化するよう著者らは主張している。そうした場合には、税の累進性や再分配システムが、公的支出削減による所得分配への影響の緩和に貢献しうる。著者らの研究は、Santiago Acosta-Ormaechea及びAtsuyoshi Morozumi(2013)によるそれと全く同様に、財政健全化のための制約を抱えている時にも、政府は教育支出をその犠牲とすべきではないという主張を行っている。





Références

2013年9月29日日曜日

財政緊縮は不平等を上昇させる(1)

Martin Anota "L’austérité accroît les inégalités" (22 juin 2013) D'un champ l'autre





先進国において、財政政策は長期において所得の不平等を減少させるのに大きな役割を果たす。1985年から2005年にかけて、OECD加盟国では財政政策は(所得税による所得移転を通じて)年間でジニ係数を平均で約15パーセントポイント(約3分の1)減少させた [Bastagli et alii, 2012]。しかしながら(グローバリゼーション技術進歩、金融の飛躍的発展に代表される)多くの変化によって、過去数十年所得移転前の不平等が上昇させられる傾向にある。より最近では、税制の累進性を弱める改革の実施が、財政政策の再分配的効果を減少させている。

大停滞(La Grande Récession)は財政への圧力を激化させ、国家が新たな改革を試みるよう促した。というのも、弱々しい経済状況は税収の悪化を招くとともに、景気の自動安定化機能や景気回復策、苦境にある銀行の救済によって公的支出も上昇させるのだ。2010年以降、税の引き上げや公的支出の削減によって、公的債務を減らし、債務の先行きを安定化させることを目的とする複数の施策を多くの国が行ってきた。しかし、もしこれらの施策の実施が早過ぎたものであった場合、これによって経済回復が遅れ、しまいには債務の安定化どころか財政がさらに悪化する可能性がある。それ以外にも、そうした施策は所得不平等の悪化を招きかねない。というのは、危機の影響を最も強く受けた社会階層は、最も人口の多い階層だからだ。そうした社会階層は公的施策に最も依存している層でもあるため、財政緊縮策によって最も生活が不安定化させられる傾向にある。

財政緊縮策の経済活動や公的債務に対する影響は多くの分析の対象となってきたが、それらが所得不平等に対して与えるインパクトと言われるものについての分析は、それよりもずっと少ない。Laurence Ball, Davide Furceri, Daniel Leigh及びPrakash Loungani (2013)は、IMFのワーキングペーパーにおいてこの問いの掘り下げを行った。彼らは、1978年から2009年にかけて17のOECD加盟国が財政再建を行った事例それぞれの研究を行った。

Ballたちは、全ての財政再建の事例において、実際に不平等の上昇がもたらされたことを明らかにした。平均で、財政再建の実施後1年でもたらされるジニ係数の上昇は0.1パーセントポイント(約0.4%)だったが、8年後ではそれが0.9パーセントポイント(約3.4%)だった。また、財政再建を支出削減に基づくものと税の引き上げによるものとで区別すると、支出による調整は平均して所得分配に対して最も大きい影響があった。所得不平等は、支出の調整による財政再建が行われると約1パーセントポイント上昇し、税による財政再建の場合はそれが0.6パーセントポイントだった。この結果は著者にとって驚きではなく、彼らによれば先進国経済における財政政策の不平等への直接的な影響は、支出によるものであるからだという。経済活動が停滞すると、給付金や補助の支払いに関連する支出の上昇が、労働による所得の減少を補償し、需要を下支えすることで所得の不平等を抑えるのである。

続いて、Ballらは財政再建策が一般的に労働者所得の分配率を減少させることを示している。この効果は直接的な経路によって働く。つまり、一部の緊縮策は公共部門の給与の削減を含む。また、より間接的な経路もあり得る。財政再建は失業、特に長期失業を上昇させる。雇用を失うことは労働者の将来所得に悪影響を及ぼし、労働者の健康を悪化させ、彼らの子供の学業成績を悪化させることでその将来進路、つまりはその将来所得の見通しも一変させる。失業期間が長いほどこうした効果は大きくなる。最も多く失業を被るのは、まさに最も職能の低い人々であり、したがって彼らは失業と貧困から抜け出せなくなってしまう恐れがあるのだ。失業期間が長い労働者ほど雇用される機会が少なくなる。というのもそうした失業者は段々と職業適性を失っていき、労働者人口から退出してしまう傾向にあるからだ。マクロ的には、履歴現象が存在するという。つまり失業は固定化する危険性があり、構造的な問題となってしまうのである。Ballらは財政再建が実際に、こうした波及経路を確かなものにする長期に渡る失業を導くことを示している。

1990年代中盤以降、社会保障と税の累進性の貧弱さによって、可処分所得の不平等は課税前所得の不平等よりも速く拡大してきた[Bastagli et alii, 2012]。大停滞が続く中で行われた財政緊縮策はその傾向を加速させるが、更なるマクロ経済的な影響も伴わずにはいないだろう。財政再建はそれ自身で既に総需要を減退させる傾向があるが、不平等の上昇がさらに経済活動を圧迫するとともに回復を遅らせ、回復の遅れは公的債務の持続性を再度危うくさせることを意味する。そしてこれらとともに、所得不平等は財政の不安定要因としてあり続ける。