2014年1月14日火曜日

ハロルド・ニコルソン「古き外交、新たな外交」

Sir Harold Nicolson "Diplomatie ancienne, diplomatie nouvelle" (Le monde diplomatique, mai 1954)

Le monde diplomatiqueの創刊号に掲載されたニコルソンの論説。内容は彼の有名な著書「外交」とも共通していますね。全くマルタン・アノタではないですね。



最高権力の座に就いたとしたらまず何をするかと問われた時、哲学者孔子は次のように答えた。「名を正す」と。私はと言えば、あらゆる文明国の言語において「外交」という単語を消し去りたいと思う。というのは何と言ってもまず、この用語は特にアメリカにおいて、何らかのほぼ如何わしいものを示すようになってきているためだ。もう一つには、大衆の間においてこの用語は二つの異なる意味で使われているからである。すなわち政治と交渉である。


この単語の他の如何なる濫用も、「秘密外交」という表現におけるものほどは有害ではないと思われる。「外交」を「対外政策」という意味で用いる場合、これは決して秘密にされてはならないという点は私も心から認めるところであり、この観点からいかなる民主主義も公表、議会での審議、議員の過半数の投票(訳注;原文ではvetoとなっているが、voteのタイプミスと判断して訳した。)による批准のされない非公表の秘密条約を結ぶことはできない。しかし「外交」を「交渉」という意味で用いる場合、交渉の進行は常に非公開としなければならない。ウィルソン大統領が「公に作成された公開条約」を設立する意思を表明した際、秘密条約制度は不幸であり失敗であると主張する点で彼は全く持って正しかった。しかし、彼が交渉もまた公開で行うことが出来ると述べた時、彼は自らがそれを放棄せざるをえなくなる最初の一人となることを主張していたのであった。いかなる交渉も、その全段階が公開議論で行われるのであれば成功しえない。理由は明らかである。

外交的交渉は、複数の互いに異なった主権国家の代表者によって行われる。その目的はそれら国家間で対立している利益の妥協点へと達することであり、そうした妥協は全ての利害関係国全体にとって妥当であるとして受け入れ可能なものである。しかしこうした交渉が公開で行われるならば、如何なる国の者も自らの国において騒乱を引き起こしたり、自国の議会からの反対に合うことを恐れて、何らの譲歩も示すことができなくなる。換言すれば、あらゆる外交的合意は総体として吟味されることを要するのである。合意が現実的なものであれば、交渉者が一点においては譲らざるを得なかったとしても、別の点での利益を得ていることに全ての国の合理的人間は気付くだろう。しかし交渉における一連の文言が日々刻一刻と公開にさらされるのであれば、各国において人々は交渉を全体としてではなく一続きの細部によって判断することとなり、それは深刻な支障を引き起こす。

ところで、政治は秘密とされてはならない一方で交渉は非公開としなければならないという原則は、現代そして過去における外交のまさしく真髄である。現代の会議で行われる話し合いは交渉としての性質を持っていない。これは全く別のものなのだ。各国代表者による演説は、交渉相手たちに向けられてはおらず、しばしば交渉の内容と関係すらない。そうした演説はその種族の何らかの神や教義の栄光にささぐ賛歌であるか、あるいは巧みなプロパガンダの試みなのである。交渉の真剣なものは、マイクやテレビカメラの前ではなく、ホテルのサロンか何かで内輪に行われる。実際、今日においては説得術よりも修辞に訴えることが多いという違いはあるものの、交渉の原則は依然として同じであり続けているのである。

もちろん、現代の方法を非難し、罵倒悪口外交は全くもって外交ではないと言うことは非常に容易い。そうした批判には私も同意するところだ。キケロがvituperatio(訳注;非難の意)と呼んだものが、実際に国際関係において思慮深い方法であるとは思わない。しかし、こうしたプロパガンダ的演説が、幾百万もの自由市民へと届くということから、「見解を民主主義的な形で知らしめる」のに役立つという主張もなされることがある。こうした主張には、大したものではなくとも、ある程度真実が含まれている。説得力のある演説家、例えばグラッドウィン・ジェブ卿(訳注;ニコルソンと同様イギリスの外交官。初代国連事務総長が選出される前に事務総長代行を務めるなどした。)などが、こうした方法によってアメリカの一部の市民に対し、何らかの問題についてのイギリスの見解を他のどのような方法よりも上手く理解させるということはありえる。こうした形式が望ましく、また必要とさえなることもあるのであり、それは外交の領域だけに留まらない。

しかし、現代の方法と1914年以前にヨーロッパの平和と国家の権利を守るために非常に有効であった方法とを分かつものは、秘密か公開かという特徴だけではない。電話と飛行機の発明は外交官を事務職員の身分へと引き下げたと言われることがしばしばある。外務大臣がケドルセーやダウニング通り(訳注;それぞれ仏外務省、英外務省の所在地。転じて外務省それ自体を指す。)から大使へ電話を掛けたり、飛行機によって即座に現地に参加するということが可能なのは確かだ。しかしながら、私が思うに、これは外交官の地位と職務を根本的に変えるものではない。外国にある大使館へ訓令が到達するのに2か月かかっていた時代において、大使は自らの考えにしたがって行動していたというのは正しくない。大使は自国を出発する前にかなり詳細な訓令を受けていたのであり、またそうしたものの一部、とくにテュレンヌ(訳注;17世紀の軍人テュレンヌのことと思われるが不明。)のものはフランス散文の傑作であった。大使はそうした訓令を飛び越えたり変更するのは差し控えており、状況が変わった際には大抵全く何もしないという立場を取っていた。今日においては、訓令が実施不可能であると大使が考えた際には、外務大臣へと素早く電話することができ、大臣も同様に大使へ電話できるのである。

外交官は外国の首都において二重の機能を持っている。外交官は、信任状を受けた先の政府からの信頼を勝ち取らなければならず、また派遣元の政府の信頼を保たなければならない。自らの政府なり信任状を受けた先の政府なりから重視されず、またその意見が信用を失っている場合、その外交官はより大きな権威を持つ人物と交代させられなければならない。どんな新聞社も銀行も、外国の首都においてその助言が信用できないような人間に自らを代表させることはないだろう。自国と外国双方の政府に対して影響力を及ぼすことを可能にするには、非常に優れた知性と多大な研鑽、そして際立って誠実な性格が必要なのである。外交官の役目とはまさにここにある。

こうした理由の全てから、新しい形式が古い手続きに加わる可能性があるとしても交渉の真髄は常に同じであり続けると私は考えている。ここで、魅力的かつ天賦の才を持つだけでなく当時最も優れた外交官であったと私の判断するところの一人の権威を参照させてもらいたい。ジュール・カンボンはその著書 "le Diplomate(外交官)"で「交渉において秘密がなくなった暁には、交渉は存在しない」と書いており、さらに「新たな外交、古き外交、こうした言葉は現実には何ら意味をなさない。変わりゆくものは外側、あるいは外交の見た目と言ってもよいだろう。根底は同じであり続ける。なぜなら人間の性質が変わらないからであり、国家がそれぞれの間の利害対立を解決する同じような方法を得ることはないからであり、正直な人間の言葉は政府がその目的に大成功を収めるために用いることの出来る至上の道具であり続けるからである。」と続けている。

正しい交渉のルールが、かつてこれほど明晰な形で定義されたことがあっただろうか。


ハロルド・ニコルソン卿

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