2014年2月22日土曜日

グレゴワール・フルロー「ウクライナ情勢を理解するための10個の地図」

Grégoire Fleurot "CES 10 CARTES VONT VOUS AIDER À COMPRENDRE LA SITUATION EN UKRAINE"(Slate.fr, le 21 février 2014)

ウクライナでウクライナ語をしゃべるのは誰?ヤヌコビッチに投票したのは誰?ロシアのガスはどこを通っている?キエフ以外で衝突が起こっているのはどこ?ウクライナ情勢を地図で理解しよう。




数か月前から、ウクライナはキエフを始めとする複数の街においてここ数日暴力的衝突へと発展してしまった親ヨーロッパ的な大規模デモの舞台となっている。2月18日火曜日以降、暴力事態の最中で数十人もの人が亡くなり、その中には銃撃によって殺害された多数のデモ参加者だけでなく、治安維持部隊の隊員も含まれる。

EUの庇護下における激しい交渉の後、ヤヌコビッチ大統領は2月21日金曜日に大統領選挙の前倒し、野党も含めた挙国統一的な政権の組閣、憲法改正を発表し、事態の鎮静を図った。

親ヨーロッパ的デモは2013年11月初旬になされた、EUとの統合をさらに進めるという合意を拒否するというヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領による東隣の大国ロシアとの接近を狙った決定がきっかけとなって勃発した。

識者の中には、東(つまりロシア)と西(EUとアメリカ)の板挟みになる国という冷戦を思わせる状況について語る人もいる。他には、この運動はその当初から大部分、今となってはより一層、腐敗した政権と大統領の独裁的姿勢の強まりに対する人々の嫌気に関係したものへと変わっていると見る人もいる。

この独特な国の情勢に対する分析は複雑ではあるが、明らかとなっている事実に基づいた特定の考察は、ウクライナで何が起きているのかをより良く理解するための助けとなりうる。この10この地図は決定的な説明をもたらすには程遠いが、ウクライナ情勢に興味を抱く人にとって重要な情報をくれるものだ。(地図をクリックすると拡大版が見られる)



1.ヨーロッパとロシアの間



ウクライナが2つのブロックの狭間に位置する国であるという論説や分析は、純粋に理論上のものというわけではない。冷戦期には既に、ウクライナ社会主義ソビエト連邦はソ連の西側境界の重要な一部であった。


今日、ウクライナは1500kmi以上に渡ってロシアと国境を接し、EUとはポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアと1300km近く国境を並べており、正に両圏を結ぶ地理的な橋となっている。




ウクライナはまた、とりわけてもロシアからヨーロッパへ向かうガスの60%が通る国でもある。



ウクライナ自身、特に重要産業である農業に用いるために、ロシアのガスに非常に強く依存している。


2.政治的にきっぱりと分かれた国



以下の地図は、2010年の大統領選挙の際に各選挙区でトップとなった候補者を示している。

青で示されているのが、親ロシアであるヴィクトル・ヤヌコビッチが勝利した選挙区、黄色が当時中道右派の首相で親ヨーロッパであったユリア・ティモシェンコだ。


る2004年の大統領選における第二回投票の際、当時すでにロシアに支持されていたヴィクトル・ヤヌコビッチへ投票したところと、EUやアメリカに支持されていたヴィクトル・ユシチェンコに投票したところの境界線は、すでにこれ以上なく明確だった。




異論が唱えられたヤヌコビッチによる勝利の後、「オレンジ革命」と称された抗議運動の要求によって第三回目の投票が行われ、最終的にユシチェンコが勝利した。投票はまたもや同様の色分けを見せた。


3.民族的言語的に非常に際立った分布を反映した分裂



この地図は去年の12月にワシントン・ポスト紙に載ったもので、多くのことを理解する助けになる。これは民族的及び言語的分裂を示している。

ウクライナ情勢を説明するワシントン・ポストによる地図


次の地図は、2001年の調査に基づいたウクライナ語を母語とする人々の割合を示しているが、さらに明確だ。




1991年の独立以降、ウクライナはこうした民族言語的によって分かれたており、この分裂によって政治的意見が形成されている。ロシアあるいはEUに対する接近もその一つだ。

Slateでは、ダニエル・ヴァーネットが12月に、既に「ウクライナにおける、ポーランド側に向いた、ウクライナ語を使い伝統的にカトリックである西側地域と、ロシア語を使い、宗教的には東方正教で、鉱業や共産主義的大規模工場で生計を立ててきた東側地域との間の分裂は(中略)2004年の「オレンジ革命」の後の選挙に現れており、親ヨーロッパ派と親ロシア派が次々と政権に就いた。」と説明していた。


4.衝突は特に西側で起きている



ワシントン・ポスト紙はさらに、ウクライナ情勢を追っているジャーナリストはキエフにいるが、同市は親EU的な人々が多い民族言語的にウクライナである側にあるとしている。しかしヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領はそれとは対照的に、ウクライナのロシア側出身だ。

同紙は1月に2つの地図を掲載し、まずは抗議運動と2010年の選挙結果の間の繋がりを示して次のように説明している。

「赤い線は抗議者が地方行政の建物を取り囲んでいる地域を示す。黒い線は抗議者がそうした建物を占拠している地域を示す。青い地域は2010年の大統領選挙で過半数を得た地域で、濃い青は70%以上の投票を得た地域。オレンジの地域は当時首相で親ヨーロッパ派の候補者であったユリア・ティモシェンコが過半数を得た地域で、濃いオレンジは彼女が70%以上の投票を獲得した地域。」

ウクライナ情勢を説明するワシントン・ポストによる地図/Max Fisher作成

同紙は次に言語分布を示す地図と抗議が行われている地区を重ね合わせている。


使用言語に基づいてウクライナ情勢を説明するワシントン・ポストによる地図/Max Fisher作成

2月19日水曜日に衝突が起こった主要な個所を示す次の地図は、上の2地図より新しいものだが、騒乱が依然としてヨーロッパよりでロシア語を使わない地区に集中していることを示している。



この記事の最初に示し、またSlate.frでダニエル・ヴァーネットが書いたように、抗議運動は昨年11月から変化してきたのであり、地理上の分裂は前よりもはっきりとしなくなっている。

「3か月に渡る人々の蜂起は、この西と東との分裂をあいまいなものとする効果を生んだ。当初、一番最初のデモ参加者たちはヨーロッパへの接近を主張していた。彼ら大部分はウクライナの西側から出身だった。しかし時がたつにつれて要求は変化した。政権の性質ですらある権力の専制性、すなわち腐敗へと矛先を移していったのだ。そしてそうした要求は反対派も糾合し、西と同様に東においても、地域政党であるヴィクトル・ヤヌコビッチのロシア語話者政党の牙城においてデモが起こった。」

こうして進展に際してもロシアのメディアはロシア政府によって描かれた複数のシナリオに言及する姿勢を崩しておらず、そうしたシナリオの中には、歴史的、言語的、経済的な境目に沿ったウクライナの仮想的な分割をするものや、ウクライナに2、3の地域、すなわち西、東、そして原住のタルタル人をスターリンが追放して以降ロシア人が多数を占めるようになったクリミア半島からなる連邦国家を創設するといったものがある。

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